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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

Vol.91 恥知らずなクソ女ども 


 いゃあ~、先日久々に腹の立つことがあってね。
 その日、2年前ぐらいから友達になった、青梅市で寺カフェをやっているアポさんからLINEが入ってね。昨日、学生時代の女の後輩と立川で久々に飲んで、その時にたまたまオレの話が出たらしいんスよ。そしたら、その女の後輩がTwitterで自分も板谷さんのフォロワーになりたいから、自分のことも板谷さんにフォローしてもらえないだろうかってアポさんに頼んできたらしくてね。で、その翌日、そのことを伝えるためにアポさんからのLINEが入ったわけなんだけどさ。
 で、アポさんからのLINEには「かなりハードな人生を過去に送ってきた女性ですが、決して怪しい奴ではないので是非フォローしてあげて下さい」って書いてあってそこにはその女性のTwitter先まで書いてあってね。んで、何はともあれ、アポさんの友達だっていうから、オレも彼女をスグにフォローしたんスよ。したら、その晩にその彼女からDMが入ってね。「サイバラ酒場っていうのが今、新宿の歌舞伎町で期間限定でやってるみたいですが、板谷さんはそのお店には行かないんですか?」って書いてあったから「いや、オレは行く予定はありませんよ」って返したんスよ。そしたら「そうですか☻」って返答があって、その日のDMは終わってね。

 で、その翌日ですよ。また、その女性からDMがあってさ。それには概ね、次のような内容が書いてあったんスよ。
『急にこんなお願いをして良いのか戸惑いますが、今日思い立ったことなのですが、西原理恵子様にお会いしたいのです。私、現在、シングルマザーで大学受験を控えた娘1人を抱えております。西原様を通して、高須先生にお願いしたいことがあるのです。
 今、少し私は精神的に混乱していまして、文章や内容が唐突で支離滅裂かもしれません。藁をも掴む状態で御連絡致しました。
 あと、アポさんからゲッツ様を紹介していただいたのは、はじめから西原様にお会いしたいから、という理由ではありません。そういう経緯ではありません。失礼ですからね。西原様にお会いしたいというのは、今日思いついたことです』
 いや、もう口がアングリですよ。てか、何か言いたいのか、こんなにわかりやすい文章って久々に見ましたよ。で、オレは次のような一文を返したんですわ。
『てか、高須先生に会いたいんでしょ? そういう頼みは聞けません』
 で、その後、相手からは『スミマセン』とか『DMでは言葉足らずですが、どう説明してよいかわかりません』っていう返信があったんだけど、オレはタメ息を1つ吐いてから、その女のフォローはバチッと切って、返す刀でアポさんに電話を入れてさ。で、その女とのことの経緯を簡単に説明したら、もうアポさんが謝りまくってきたからね。オレは言ったんですよ。
「いや、オレはアポさんには何一つ腹を立ててませんよ。アポさんのいいところは、どんな個性的な人が相手でも(ま、アポさん自体がハンパない個性的なんだけどね)、ちゃんとその人が何をしたいのか、何を目指しているのかを正確に把握して、別の人にそのことをわかりやすく伝えて、その個性的な人に対しての偏見を無くせることじゃないですか。でも、アポさん、あの女の人は人間にとって1番大切なところが壊れてますよ。オレはあんな女のために、今までアポさんと会った大切な2年間を無駄にするのが嫌だから、今、こうして電話してるんです」

 ま、つーことで、オレは大切な人間関係を壊さずに済んだんだけどさ。そんでホッとしたついでに、反射的に今から5~6年ぐらい前の、あるメタメタ腹の立つことを思い出しちゃってね。せっかくだから、今からその事を書くね。
 その当時、オレはTwitterを始めて、まだ何年も経ってなかったから、オレをフォローしてくれた人に対しては殆ど無条件でフォローをし返してたんですわ。そんなある日、オレのTwitterアカウント宛にハンパなく馴れ馴れしい感じの文章が書いてあってね。
『いたっち、君は最近、うどんは食べに行かないのかな? 私の地元は中野で、そこには○○屋っていう美味しいうどん屋があるから、今度一緒に食べに行こうよ』
 多分、こんな感じだったと思うんだけどさ。てか、まずオレは、大して仲良くもない奴から「いたっち」って呼ばれるのが、とにかく嫌でね。しかも、○○屋っていううどん屋の名前が書いてあったけど、そのうどん屋って少し前に食べに行ったことがあるんだけど、ハンパなく不味くてさ。でも、でもね。その女の人のTwitterの自己紹介の欄を見たら、年はオレの確か4つ上。障害者施設で働いていて、障害者にピアノまで教えているって書いてあるんですわ。だから多少口は悪いけど、まぁ、それなりにはちゃんとした人だろうなと思ってたのよ。
 で、その後も週に1~2回のペースで、その馴れ馴れしい感じのツイートががあってね。しかも、その時ってオレのTwitterには高須先生からのツイートや「いいね」が割と飛んできててさ。んで、そのオバちゃんも間に入ってこようって感じで『ほら、いたっち。高須先生に心配をかけてるよ』なんてツイートしてきたんだけど、もちろんそんなツイートは無視してたわけですよ。そんで、そのオバちゃんのツイートがトータル7~8回ぐらいあった後、彼女からのツイートがピタリと止まってさ。オレとしたら殆どまともに相手もしてなかったから、さすがに彼女も気づいて離れてったんだろうなぁ~って思ってたんスよ。

 そしたらですよ……。そのオバちゃんから2カ月ぶりぐらいにツイートがあったと思ったら、オレにいきなりお礼を言ってきてさ。何だよ?と思って、その後のツイートを読んだら、つまりはこうですよ。先日、私はいたっちの友達ということで高須先生にDMを送りましたと。で、それには今、私が関わってる障害者施設の音楽会をやりたいんだけど、その広告を打ったり、会場を借りたりする費用が殆どありません。で、考えた末、それらの金額をいたっちの友達の高須先生に出資して頂けないか、と書いたらナント、高須先生から入金があってビックリ! いや、いたっち。どうもありがとう!ってなもんですよ。

 いや、オレはそのオバちゃんの浅ましさに暫く呆然としましたよ。Twitterで僅か7~8回ぐらい言葉を交わしただけでオレのことを自分の友達にし、それを利用して高須先生からお金を巻き上げてんだよっ。つーか、基本的にオレは高須先生の彼女サイバラの学生時代からの友達ってだけで、高須先生とは実際に会ったことだって今までに3~4回ぐらいしかないっつーーの!!
 いや、今現在は高須先生も更に有名になっちゃって、出資先も多岐に及んでるから逆にこんなインチキに乗ることも無いだろうけどさ。しかし、この時のオバちゃんは先日のアポさんの後輩と比べると、割と大胆な登場の仕方といい、オレとのTwitterでの会話が先細りになってるのを感じて、高須先生に直接DMするのは今しかないという、そのタイミングの取り方といい、かなりの手練れでしたな。




 しかし、食うことだけが趣味のオレにもこんな浅ましい女の投げ輪が時々だけど飛んでくるんだから、サイバラや高須先生に飛んできてる投げ輪の数っていうのはハンパじゃねえんだろうなぁ……。いや、同情します。


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  2020/02/15   ガイドワークス 管理者

Vol.90 カレー大論争


ゲッツ板谷(以下、ゲ)「はい、つーことで始まりました、カレー大論争」
ハッチャキ(以下、ハ)「何ばい、何が始まるとぉ?」
「ガハハハッ、わざとらしいなぁ~。最初っから博多弁とか使っちゃって。いや、今回は今後の日本のカレー事情がどうなっていくのか、キミと徹底的に討論していこうと思ってさ」
「人の家にいきなり遊びに来たかと思えば、カレー事情を討論って……相変わらず自分のペースを全く崩さないねぇ」
「いやぁ~、にしても日本のカレー市場も30年ぐらい前から色々なモノが登場してきたろ」
「例えば?」
「それでもラッパは吹くんじゃい!!」
「………は?」
「いや、あの……例えば、ほら、現在ではどの街に行ってもあるけど、インドやネパールのカレー店、アレがポチポチと出始めてさ。今じゃ、もう食い飽きちゃったけど、御飯代わりにナンをカレーに付けて食べたり、同じ御飯でもインドの炊き込みご飯ビリヤニを出す店なんかも出てきてさ」
「ふむふむ」
「え、何を踏むの?」
「………え?」

「で、続いて流行ったのはタイカレーでさ。パッポンカリーとかグリーンカリーとか、とにかく見た目が新鮮だったよな。カレーの中にタケノコとかアボカドが入ってるのも驚いたし」
「うん、確かに」
「でも、そういう海外のカレーって、日本の家庭にはなかなか馴染まなくてさ」
「いや、でも日本の家庭に馴染んでたのって、元はインドのカレーをイギリスが少し加工したヤツでしょ?」
「何ちょっと知ってるからって、人の足を引っ張ろうとしてんの?」
「いや、引っ張るも何も、だってコレって討論会でしょ?」
「また、そうやってオレのことをヒットラーとして弾劾裁判にかけようとするのかいっ!?」
「……はぁ?」
「まぁ、いいや。で、日本の国内で定着してるカレーって、市販の固形ルーを使ったポーク、ビーフ、チキン。あとはキーマカレーぐらいなもんだったろ。ところが、今から15年ぐらい前に北海道からスープカレーってのが入ってきたろ?」
「入ってきた、入ってきた。で、そのうちスープカレー用の市販のルーも出てきて、うちの嫁さんなんかも時々作ってたもんな」
「アレは日本が生んだ新種のカレーだったよな」
「俺なんか、今でも時々渋谷の……」
「まぁ、でも、2~3年で、その静かなスープカレーブームも収まっちゃって、今じゃ大きな街でもスープカレー屋は2~3軒しかないけどな」
「……………」
「で、その後、鹿肉とかを入れるジビエカレーなんてのも出てきたけど、それはブームにはならなくて、日本のカレー界は欧風、インド、タイ、スープカレーと、いくつかのカレー界が共存するようになったじゃん」
「つーか、カレーよりラーメン界の方が熱いしね」
「それでもカレーラッパは吹くんじゃい!!」
「……………」
「で、つい4~5年前からですよ。大阪でスパイスカレーブームってのが起こって、去年あたりから東京にもそのスパイスカレーの店ってのがポチポチでてきたろ」
「あ、大久保で営業してる“スパイシーカレー魯珈”みたいな店でしょ?」
「魯珈の話は、するなああああああああ~~~~~っ!!」
「……な、何で?」
「……まだ1回も行ってないから」
「板谷くんにしたら遅いんじゃないの、そういうカレーの話題の店に行くの(笑)」
「それでもラッパは吹くんじゃい!!」
「もういいよっ、それは!」

「お前に言っとくぞ」
「……何?」
「この原稿の各文の冒頭部を見ると、ハゲハゲハゲハゲって、ハゲ続きで気分悪いから、お前は名前を変えろ! 今日から“トンボの涙”にしろ!」
「嫌だよっ、そんな何の面白みのない名前。しかも適当に長いしっ」
「じゃあ、ドベ」
「もう名前の事はいいよっ。話を進めろよ」
「そうだよっ、オレは大阪のスパイスカレーのことを話してたんだよ。てか、ここからが今回の討論会の本題に入っていくんだけどな」
「全然討論なんかしてないけどね」
「生意気言うなっ、最終増量剤!! お前、もう帰れ!」
「帰れって、ココは俺の家なんだよ!」
「じゃあ、ココアをいれてこい。それも飛びきり熱いやつを。貴様の股間にぶっかけてやる!」
「いいから話を進めろよっ。俺、あと1時間もしたら美容室に行かなきゃなんないんだかレア!」
「何だよ、最近は人の髪の毛を集める仕事もしてんのか?」
「髪を切るだけだよっ!!」
「オレが切ってやろうか?」
「いいから話を進めてくれ!」
「え~とぉ、YMO復活の話だっけ?」
「復活しねえよっ、そんなもん! 大阪のスパイスカレーの話だろっ」
「そうそう、話によると元々スパイスカレーってのは、1980年代ぐらいに東京でカシミールカレーってのを食べた常連達が自分らも、そのカシミールカレーを作ろうとしていろいろ研究したり、世界各地のスパイスを追い求めてるうちに、結局は“わけのわからないもの”を作ってな。で、それを元に商売しようとしたんだけど、東京は市場が成熟してるから新しい芽は出にくいってことで、なら大阪だったら、まだ新しくて面白いものが注目される余地があるってことで、そこに何店舗かがオープンして、それが現在のブームにつながってるらしいんだよな」

「はいっ、ちょっと待ったあああっ!」
「何っ?」
「カシミールカレーって、板谷くんが今も1~2カ月に1回は通ってる群馬にあるカレー屋で出されるカレーだろ?」
「そうだよ」
「いや、俺も何回か食べに連れてってもらって、確かにあのカシミールカレーってのは相当に旨いよ。多分、今まで俺が食べたことにあるカレーの中でも1、2位を争う旨さだよ」
「で?」
「で?って………いや、だからさ。前々から思ってたけど、どうしてあのカシミールカレーが大好きな人たちはインドのカシミール地方に行かないんだろう? そこに行けば、ひょっとすると更に美味しい本場の……」
「このバカチンぎゃあああああああああああああああ~~~~~~~~~っ!!!」
「な、何だよっ、突然!?」
「あのなぁ~、オレは何度も言ってるけど、カシミールカレーを作ったのって日本人なの! カシミール地方に行ってもカシミールカレーなんて呼ばれるものは無いの!!」
「に、日本人が作ったって……誰よ、それ!?」
「今も銀座と上野に2店舗あるけど、インドカレー屋の“デリー”って店の経営者だよ」
「じゃあ、あの群馬の前橋にあるカレー屋のカシミールカレーっていうのは……」
「そのデリーで働いてた人が作った店が、あの前橋と高崎にある店だよ。……オレもその事を30年近くも知らなかったけど、2年前に知り合った青梅でニューギニア料理兼、蕎麦屋兼、インドカレー屋兼、コーヒーショップをやってるアポさんて人が、そのことを教えてくれたんだわ。ちなみに、そのアポさんも自分でカシミールカレーを研究してて、今ではかなり近い味のカレーを出せるようになってんだよな」
「………ち、ちょっと今、展開が急過ぎて言葉も出ないよ」
「さらにオレとカシミールカレーの間には深い繋がりのようなものがあってよ。オレ、自分ではカシミールカレーを教えてもらったのって、23歳ぐらいの時に友達だった銀角さんに連れられて彼の地元だった前橋のカレー屋に行ってさ。で、ソコで初めてカシミールカレーを食べて、その時に一緒にいた漫画家のサイバラと『何じゃい、このクソ旨いカレーはあああっ!?って驚いたと思ってたんだよな」
「思ってたぁ?」

「でも、実はオレ、17歳の高校2年の時に既にこのカシミールカレーを食べててさ」
「はぁ? ……ど、どういうこと!?」
「いや、その日、高校の友だちから“俺の地元に旨いカレー屋があるから食いに行こうぜ”って誘われたのが実は、あの上野の『デリー』だったんだよ」
「ええっ!」
「しかもよ、オレ、その時に凄く辛いカシミールカレーを2~3口食べたら、急に左の脇腹に差し込みが走ってさ。気がついたら失神してて、その当時、上野にデリーの左端には3畳ぐらいの和室があって、そこで起こされたんだよ」
「ガハハハハハハッ!! なんだよ、今じゃ激辛なんて何でもないとか言ってるけど、高校生の時は辛い物食べて気絶してたんじゃねえかっ。ガハハハハハハハハハッ!!」
「テメー、もう1回笑ったら、そこの窓から下に突き落とすからな!!」
「ああ……ゴメン、ゴメン」
「で、話を大きく戻すとよ。その伝説のカシミールカレーを食べてた常連たちが全国に散らばって、何とか自分たちもそのカシミールカレーを作ろうと模索を始めてさ」
「あっ、じゃあ、あの、ほらっ、福岡にある『うるしカレー』にもカシミールカレーに凄く良く似たカレーがあるじゃん。あのカレーも……」
「ま、当人たちじゃないから何とも言えないけど、多分、デリーのカシミールカレーを追いかけてた人なんじゃねえのかなぁ……。だって、あのカシミールカレーって真似でもしなきゃ絶対出せない味だもん。福岡にある“やま中”の味噌味のモツ鍋と同じく、真似しようとしなければ味が独特で絶対同じようなものは出来ないよ。ね、蟻月さん!」
「うわっ、板谷くん。今、もの凄いこと言ったよ(笑)」

「で、さらに話を進めるとさ。カシミールカレーを目指してた常連たちが大阪に集まってきてさ。その子供や友達なんかが多種のスパイスをブレンドしながら、何種類かの傑作カレーを作ってさ。1種類じゃなんだから、2~3種類のカレーを1つの皿に盛って、ついでにそこに美味しいサラダ、ヨーグルト、お新香なんかも乗せちゃったのがスパイスカレーらしいんだよな、どうも」
「ほぅほぅ」
「ところが、結論から言っちゃうと、このスパイスカレーは東京じゃそんなに流行らないだろうな」
「え、何で?」
「だって、その自分たちが作った何種類かのカレーの殆どが美味しくなくちゃいけないんだよ。ほら、1つの皿の上に遊園地のように色々なルーや御飯や野菜なんかを配置するから、1つでもあんまり美味しくないカレーがあったら、それがその皿全体にモロに影響しちゃうだろ。だからスパイスカレーを成功させるには、単にカレーが好きってだけじゃなく、もの凄いセンスが必要で、日本人の中にそこまでのセンスがある奴って一体何人いると思う?」
「だよねぇ……」
「ちなみに、オレ的には今まで食べたスパイスカレーでダントツに、その総合力に圧倒されたのは京都にある『ムジャラ』って店だな。で、そのムジャラに時々通って、でも、独自に4年間だけ研究を続けた、埼玉県は越谷市にある『モクロミ』って店が東京では1番旨いと思うよ。2店とも店長がハンパなくカレー作りの才能があるから」
「何だ、もう結論は出てんじゃねえか」
「あと、カレーのスパイスの種類は1種類しか無いけど、神奈川県は相模原市にあるカレーハウス『マボロシ』もスパイスカレーの一流店です」
「てか、今回の俺は、文章に例えると句読点のようなもんじゃねえかよ。また板谷に利用されたっ、悔しいいい~~~~~っ!!」


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  2020/01/15   ガイドワークス 管理者

Vol.89 今年オレを一本背負いした女


 さて、2019年もあと僅かで終わりである。
 今年もオレが応援しているプロ野球の埼玉西武ライオンズは、去年に引き続きペナントレースで優勝したにもかかわらず、その後のクライマックスシリーズで2位だった福岡ソフトバンクホークスにスイープされ、2年連続で涙を飲むことになった。そんな悔しいシーズンだったが、嬉しいことも1つあった。

 今から10年前、オレがライオンズのファンになりたての頃、その試合を見に西武ドームに行くのは基本的にオレ1人だけだった。何試合に1回かは後輩のシンヤくんや友達のハッチャキが一緒に来てくれたが、基本は1人で応援に行っていたのである。ところが、それから5年ほど経って、たまこちゃんという8つ歳下の友達を西武戦に誘ったところ、彼女も幼い頃に西武ファンの父親に時々西武球場に連れられて応援に行っていたこともあり、瞬く間に本気の西武ファンとなり、それからは7~8割方の試合を彼女と見に行くようになった。
 しかも、たまこちゃんは3年目からはセンターを守っている秋山翔吾選手が特に好きになり、会社の休み時間とかには頻繁にパソコンとかで西武ライオンズの情報をチェックしているので、オレの方が逆にたまこちゃんからライオンズの情報を教えてもらうことが多くなっていたのである。そう、当たり前の話だが、何かのスポーツチームや何かの音楽グループなどを一緒に応援するには当然のごとく、自分もそのチームやグループのことが本当に好きでなければ、すぐに応援に行くのが面倒臭くなってしまうのだ。

 で、オレには、その応援友達も出来て喜んでいたところ、今年になってたまこちゃんが好きな秋山翔吾選手が来シーズンは西武とは契約せずにメジャー・リーグに行く可能性が濃厚になってきた。当然、その話題が出ると急に寂しそうな表情になるたまこちゃん。オレは(う~ん、何とか彼女を元気づける手立てはないものか……)と考えていたところに、今年になって割と頻繁にツイッターでDMなどを交わすようになっていた“ミホにい”というオレと同い年のオバちゃんが、どうやらサッカーだけでなく野球にも興味があるということがわかってきた。
 オレは考えた末、そのミホにいを今年5月の西武戦に誘った。そして、西武ドームの観客席に横並びに座るオレ、たまこちゃん、ミホにいの3名。で、どうなったのかと言うと、ミホにいがでしゃばらないんだけど人に細やかな気が遣えるたまこちゃんのことを大変気に入り、また、たまこちゃんの方もビックリするほど野球のことを知っていて、しかも、シャキシャキした性格のミホにいのことが好きになっていたのである。

 こうしてオレは、また1人、西武ライオンズ応援仲間を増やすことが出来たのだが、某大手企業に勤めているというミホにいに遅まきながらあることを訊いてみた。
「ねぇ、何で“ミホにい”って呼ばれてるの? てか、ミホっていうのは名前から来てるのはわかるけど、『にい』って何?」
「ああ、女なんだけど男っぽいって意味よ。私もいつ頃からか、そう呼ばれるようになったのかはわからないけど」
「てか、ミホにいって、どんな仕事してんの?」
「ほら、私が勤めてるような大企業って、必ず身体や精神に障害を持ってる人を何十人か雇うって決まりがあるのよ。で、早く言っちゃえば、私はこの部署の課長なの」
「へぇ……何だか凄いねぇ」
「ちっとも凄くなんかないわよ。ただ、障害を持って精神的にも不安定な人たちにヤル気を持ってもらうっていう仕事だから、根気だけは必要だけどね」
「ふぅ~ん………」

 オレはその時、ミホにいは結構大変な仕事をしてるとは思ったけど、正直“男っぽい”と見られてることについては舐めて捉えていた。てか、そういう障害を持った人達を時には怒鳴ったり、また上司に対しても理にかなわないことを言われれば言い返すことぐらいは出来るだろうと思ったが、例えばバス停に並んでいる時に前の男と取っ組み合いのケンカをするとか、ヤクザに因縁をつけられても一歩も引かないといった、そこまでの無鉄砲な男らしさは無いだろうと思ったのだ。ま、当たり前だけどね(笑)。
 で、その後もオレとミホにいはたまこちゃんと予定が合う時は3人で、また、たまこちゃんの都合は悪いがミホにいの都合がいい時は2人でも西武ドームに行くようになった。そして、そんな時にミホにいから彼女の2人の子供たちの話を聞くと、もうそれだけでも彼女は子供たちを心から愛し、また子供たちもまるで友達のようにミホにいに愛情を持っていることがわかった。
 オレはそんな話を、しかも、自分と同し年の友達から聞くと堪らなくなった。そう、ウチの一人息子は未だに反抗期にいるらしく、オレに対しては遊んだり一緒に飯を食いに行くことも殆どないし、普通に落ち着いて会話することも避けている節があるのだ。で、ある時、あまりにもうらやましかったので、オレはミホにいに自分の妹の話をした。
 以前、自分の本にも少し書いたことがあるが、オレの妹にはオレの息子と同い年の娘がいて、その子は重い自閉症を患っていた。が、オレの妹はなかなかその事を認めることが出来ず、娘を普通の小学校に入学させた。もちろん、その小学校の先生たちとは何度も話し合ったが結局、オレの妹は送り迎えだけではなく、娘が小学校にいる時もズーッと同じ教室にいて、そんな生活を遂に6年間も続けきったのである。その上で娘をようやく特殊クラスのある中学校に入れたのだ。
 オレは、その話をミホにいに少し得意な気持ちになって喋った。そう、6年間も娘と同じ小学校に通い続けたオレの妹の精神力は凄いだろう、と。そして、ミホにいはそんなオレの話を黙って聞いていたのである。

 それから数カ月後。オレとミホにいは再び2人で西武戦を見に行く機会があり、その後、たまこちゃんと西武戦を見に行った後でもそうしてるように、そのまま友達の塚ポンがやってる串カツ屋へ直行した。
「この前、たまたま弟のセージが名古屋から帰ってきてね。2人で酒を飲んでる時にオレが『しかし、妹の娘が自閉症を患った原因って、やっぱり旦那の方の家系にあるような気がするんだよな。お父さんもかなり変わった人だったって話だし、ひょっとすると隔世遺伝みたいなもんじゃねえかなぁ~?』って言ったら、セージの奴も……」
「ちょっと待って!」
 串カツ屋のカウンターで話している最中、オレの話を途中で止めるミホにい。
「この前は言わなかったけど、板谷さんの妹の娘が自閉症を患ったことって、むしろ私は妹さんの方に問題があると思うよ」
「はぁ~!?」
「障害を持った子供がいる身内の人は、あの子がああいう障害を負ったのは相手側の家系のせいだって言うことが多いけど、板谷さんの妹の娘さんのケースは多分妹さんの影響が大だと思うよ」

 気がつくと自分の手がワナワナと震え始めたのがわかった。オレと妹は昔から特に仲が良かったという訳ではなかったが、しかし昔、オレが嫁の実家に娘さんを下さいと挨拶に行った際、嫁のお母さんに「板谷さんの妹さんは何をなさっているんだっけ?」と尋ねられ「某大手料理学校の新宿校の副校長をしてます」と答えた時に、その場にいた嫁の親父が「くっだらねぇ~」と言ったのを聞いて、もう少しで嫁の親父さんを半殺しにするところだった。そう、昔から自分のことを悪く言われてもそこまで腹は立たないが、とにかく不器用なくらい真面目で堪え性のある妹のことを悪く言われると、オレは自分でも信じられないくらい頭に血がのぼるのだ。そして、その時、ミホにいはオレの妹の娘が自閉症を患ってる原因は妹にあると思う、と言ったのである。
「何でオレの妹の方に問題があるんだよっ!?」
 自分でもビックリするような大きな声で、そう尋ねていた。が、ミホにいはそれに全く臆することなく言葉を続けた。
「いや、前に板谷さんは私に妹が自分の娘を一般の小学校に通わせるために、自分自身もその小学校に丸々6年間通ったって言ったことがあるよね」
「ああ、言ったよっ。それがどうしたんだよっ!?」
「妹の娘さんって重い自閉症で、言葉も満足に話せなかったんでしょ? 普通なら一般の小学校に入学させても、せいぜい3~4日、長くても2~3週間で、やっぱ同じような病気を患ってる子供がいる小学校の方へ転校させてくださいって学校側に言うんだよ」
「何でだよっ? ウチの妹は自分で責任を負うって言ったんだぞ。そしてそれを全うしたんじゃねえかっ!」
「でも、それは妹さんだけの気持ちの問題だよねっ!?」
 声を荒げるオレに一歩も引かないミホにい。

「自分の娘を一般の小学校に通わせたい。その気持ちはわかるよ。だけど妹さんは割とすぐにわかったはずだよ。自分の子供が他の子たちとは明らかに違うって。でも、学校側に自分の意見を押し通しちゃったこともあって、いいや、なら自分が我慢すればいいんだってことで、6年間も小学生たちと一緒のペースで学校に通ったわけでしょ」
「だからそう言ったろっ」
「妹さんはそれで自分の欲求が通ったからいいけど、じゃあ、妹さんの子供はそれで楽しかったのかなぁ? 自分の周囲のクラスメイトはみんな楽しそうに話してるのに、自分だけは何でかその会話が出来ず、しかも、途中からは誰も自分に話し掛けてこようともしない学生生活をどう思ったかな? あと彼女とクラスメイトだった小学生たちは、妹さんの娘は置いとくとしても、そんな自分たちの母親と同い年ぐらいのオバさんが、常時自分たちの教室にいるって日常は嫌じゃなかったかな?」
「そ、それは……」
「確かに、妹さんの自分の娘を思う気持ちはハンパじゃないし、そんな重い自閉症の子供を普通の小学校に6年間通わせたってことは、ある意味、尊敬に値するよ。とても真似できないよ」
「……………」
「でも、普通の人は、仮にそうやって自分の欲求を押し通しても、やっぱりそれと同時に肝心の本人はどうなのか、また、その周囲はどうなのかって考えるんだよ。それが大人でしょ。だって、この世の中、自分と自分の娘だけが生きてるんじゃないんだから」


ズッダアアア~~~~ン!!


 突然、そんな衝撃に貫かれた。それは、オレが自分の半分ぐらいしか体重の無い女に一本背負いを食らった音だった。
 オレのオフクロが生きていた頃、よくそのオフクロと妹は口喧嘩をしていた。当時は、女同士だったし、2人の性格が似ているから逆にぶつかり合うんじゃないかと思っていたが、今、冷静に考えると、アレは自分の周りを冷静に見ることができる者と出来ない者との喧嘩のような気もしてきた。
 ウチの近所の職員の数だけでも200名を超える老人ホーム、そこにいる4人の園長の1人として働きに出ていたオフクロは家の中で妹と言い合っている時、頻繁に「もっと周りのことも見なきゃダメだよ」という言葉を吐いていたことを思い出した。そして、オフクロは、そんな妹の物凄い真面目なんだけど1点しか見られない性格、そして妹の娘のことを心底心配して67という若さで他界していったのだろう……。
 時々野球を見に行くようになってまだ1年も経っていないのに、オレがキレて暴れるんじゃないかという可能性も恐れず、友達として言わなくちゃいけないことを言わなくちゃいけないタイミングで口にしてくるミホにい。


 うん、確かに彼女の中には「本物の男」がいるな。ごめんなさい、もう舐めません(笑)。


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  2019/12/15   ガイドワークス 管理者

Vol.88 遺言になってもいいや


 オレは小学校2年の時に、地元にあるスパルタ塾に入れられた。
 ウチのオフクロの義理の父親がヤクザで、オフクロはそういう道が大嫌いだったので、自分の子供だけは真っ当な道を歩かせようと、オレが幼い内からそんな手を打っていたのである。ま、結局オレは途中で思いっきりズッコケて、が、友達の女漫画家サイバラのお陰で物書きになれた。だからというわけじゃないが、オレも自分の息子を小学校の時から大手有名塾に通わせた。が、オレが小学2年の時から通ったのに対して、息子は小学5年になってからで、その塾の先生には「いや、今の時期でもいいんですが、欲を言えば、あと1~2年早く塾に来させてもらえば、板谷くんはもっと楽に伸びたんですけどねぇ」とか言われた。結局、ウチの息子の中学受験は滑り止め校になんとか引っかかっただけで、そのT学校なら大学からでも入れるだろうということで、オレと同じく普通の公立中学校に通うことにさせた。

 ウチの息子は中学の時も小学校の時に入っていた同じ塾に入れたのだが、中1の時には既に息子はそんなに勉強が出来る奴ではないことがわかった。が、オレの息子なのでそれもしょうがないと思っていたが、中2になるとオレに対する態度が急に反抗的になり、また、中学校もちょくちょく休むようになった。さらに中3になると不登校はさらに酷くなり、1年間で学校に行ったのはテストの時のわずか10日間だけという有り様だった。もちろん、そんな状態では内申書もクソもなく、こいつは中卒でどこかに就職させなきゃならないのかと愕然とした。
 ま、結局は中学の出席状況があまり良くなくても、試験である程度の点数を取れれば入学させてくれる学校が埼玉県にあって、息子は何とかソコには入れた。で、高校に入れば新しい友達が沢山できるだろうと思っていたが、ま、確かに2~3人とは仲良くなったみたいだが、快活な高校生活を送っているとは言えず、おまけに朝、必ずモタモタして高校まで行くスクールバスの時間に間に合わなくなった。オレは中学の時のこともあったので、毎朝息子を車に乗せて高校の正門脇まで送っていくことにした。
 いや、何でそんな過保護なことをするんだ!?と思う者も沢山いるだろう。が、オレにとって中学3年の時に息子が何を言っても殆ど学校に行かなかったってことは、オレの中ではかなり大きな傷になっていて、が、高校生になった息子は一応は学校に通う気はあったので、朝の僅か5分とか10分遅れたことで、その日、学校に行かないなんてことはバカらしいことだからそれなら自分が来るまでその息子を学校まで送り届けるなんてことは何でもなかった。

 こうして息子は高校へは行くようになったが、高2になると新たな問題が浮上してきた。そう、大学に入るための塾に通わせねばならなかった。が、ウチの息子が中学まで通っていた、あの手の大きな塾に再び入れても、まず奴は勉強しないと思ってオレは悩んでいた。ところが、あるイベントで自分の読者に会ったオレは、その彼が偶然にも個人授業をする塾の先生であることを知り、その塾にしているマンションは高田馬場にあり、オレの地元の立川とは電車で1時間ぐらい離れていたが、思い切って彼に息子の塾の先生になってくれと頼んだのである。
 ちなみにその塾の料金はビックリして目が飛び出るほど高かったが、それもその彼はオレの本が大好きだったので何万円も値引いてくれて、結局ウチの息子は平日は毎日オレに高校まで送ってもらい、それと並行して週に2~3日は高田馬場にある塾に通った。で、オレは時々、息子の自宅の勉強部屋をこっそり覗いていたのだが、5回覗くと4回は夢中でゲームをしており、時々は「ほら、ゲームなんてしてねえで、高い金出してんだから塾の予習とかしろよっ。来年大学に落ちたら即就職だからなっ!」という言葉を浴びせた。そう、更にもう1年そんなバカ高い塾代なんか勘弁してくれということもあったが、息子は芯のところがオレと似ているところがあって、こいつは浪人でもしたらオレのようにその途中で挫折し、結局は引きこもりになるに違いないという確信があったのだ。ま、引きこもりになってもオレはサイバラに救ってもらったが、彼女のような人は滅多にいないと思うのでウチの息子がそうなっちゃった場合はホントに目も当てられないだろう。

 結局、息子は5つ受けた大学のうちの1つに何とか引っかかり、今年から大学生になった。ま、大学といっても三流大学だが、オレはウチの息子の勉強を見てくれた塾の先生にはホントに感謝している。だって、あんなに勉強していないのに現役で大学に受かるなんて、あの先生だから成しとげられたんだと思う。先生は「もう一浪を!」と言っていたけど、いや、もう充分ですよ(笑)。
 で、ウチの息子は大学生になってからは、ま、当たり前のことだが、1人で電車に乗って学校に通っている。だが、クラブにも入らず、アルバイトもせず、授業が終わるとそのまままっすぐ家に帰ってきて、寝るまでの間、延々とゲームをやっているのだ。そう、ウチのバカ嫁とソックリなのである。
 で、先月弟のセージが名古屋から一時帰宅した際、オレの息子と少し話をしたらしいのだが、息子は「とにかく彼女が欲しい」と嘆いていたと言うのだ。それを聞いて、オレは本気で泣きそうになった。息子は今年で19である。そして、間違いなく童貞なのだ。「いや、そんなことはないよ。陰でやってるよ」という奴はいるが、いや、奴はやってない。やってる奴というのは、どこかで微かな余裕のようなものが見えるもんだが、ウチの息子は正真正銘の童貞である。

 てかねっ、オレが19の時なんか、それこそ色々な女とSEXなんか浴びるほどヤッてたのに、そんな肉体が最も異性を欲しがっている時に彼女もいないなんて……。いや、中学の時に息子が全く学校に行かない時だって、高校まで車で送ってる途中に突然帰りたいと言い出して、激怒しながらも家に引き返した時だって、オレは泣きそうにはならなかった。が、先日、息子が童貞だということがほぼ証明された時、オレは19歳にもなった男が、女のあの柔らかい、優しい唄が聴こえてきそうな肉体を知らないということが心底可哀想に思えたのだ。で、本来なら「おい、今から父さんとソープランドに行くぞ」とか行ってやりたいところだが、ウチの息子は未だにオレに対しては反抗期のような態度を取り続けているので、まともにオレの話すら聞かないのだ。
 てか、息子が小学校に入る直前に肺癌で死んでしまったオレのオフクロ。オレはそれ以来、息子の教育について“こんな時、オフクロだったらどうしたのか?”ということを考えて、いつも方針を決めていた。で、何とか奴を大学生にまでさせることは出来たのだが、その一方で息子に“人間らしく生きるということ”については何も教えられていなかった。ま、元々オレは大学生にすらなれなかったのだが、ウチのオフクロが生きていたら必ずウチの息子にはこう言うはずである。

「今、この数年間だけは学校の授業の単位さえ取っていれば、あとは自分の興味があることに遠慮なく向き合える、人生で最大級に恵まれた期間なんだよ。それなのに他人が商売のために作ったゲームばかりをピコピコやって、そのまま大学生活が終わっちゃったら、自分の可能性と大きな楽しさを捨てたも同然だよ。ほら、早く空いてる時間にアルバイトをやって、その誰にも遠慮しなくていいお金を資金に冒険を始めな。早く。時は金なりだよ!」

 自分の息子にこんな当たり前なことも言えないオレに、今もオフクロが脇腹あたりでプンスカ怒っている。
 冷静になって考えれば、オレは息子が中学生の時に何度か怒りに任せて奴を殴ってしまったため、今も息子はその防衛手段のためにオレに対しては乾いた、それでいて尖っている態度を取り続けている。
 どうにかして伝えられねえかなぁ……。もう少し視野を外に向ければ、もっともっと楽しくて、気持ちが良くて、時には痛いけど、でも、涙が止まらないぐらい心が震えることがお前を待っているってことを。

 オフクロ、奴の夢の中にでも出てきて頼むよ(笑)。


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  2019/11/15   ガイドワークス 管理者

Vol.87 ハムの禿げ散らかし騒動


 今から5年前、後輩の女漫画家、沖田×華にショックなことを言われた。
「ゲッツさんって、あと5~6年で脳天が禿げちゃいますね」
 そう、こんなセリフを香川県まで一緒にうどんを食いに行った、ある日の昼間にいきなり頭を眺めながら言われたのである。オレはどちらかというと頭髪は濃い方で、だからそれまでは誰にも禿げそうなんて言われたことがなかった。で、それ以後も沖田と会う度に「いゃぁ~、あの時はマジでショックだったよ。だって、いきなりあと5~6年で禿げるなんてお前が言うからよぉ~」って言っていたら、ある日、彼女から小さなスプレー2本と沢山の錠剤を渡された。
「な、何だよ、これ?」
「アメリカの毛生え薬です」
「えっ………」
「そのスプレーを1日1回脳天にかけて、あと、錠剤も1日1錠飲んで下さい。禿げがピッタリ止まるばかりか、毛がワサワサと生えてきますから」
「って、おい! オレはまだ禿げてねえって! つ、つーか、仮に禿げても、普段からこんな頭髪を短くしてんだから、オレは気にしねえって!」
「そうですか? ゲッツさんと会うと、毎回禿げるって言われたって私を責めるんで、なら禿げ止め薬をあげたらいいかなって思ったんですよ」
「だからっ、オレはまだ禿げて……ま、まぁいいや」
 自宅に帰ってきてから、沖田に貰った薬を机の上に並べてみた。そして、オレは自分の気持ちを整理してみることにした。

“おい、板谷。お前は、自分が禿げることを気にしてんのか?”
(まったく気にしてないって言えば嘘になるけど、オレだってもう50を過ぎてんだから、冷静に考えたら禿げたら禿げたでいいと思ってるよ)
“ホントかぁ~?”
(ホントだよっ! オレは別にどこかに勤めてるわけでもねえし、脳天が禿げてきたら、もうスキンヘッドにしちゃったっていいと思ってるもん)
“わかったよ。じゃあ、その机の上に並んでる薬はどうするんだよ?”
(いや、まぁ、捨てるのも何だから、とりあえず端っこに置いとくよ)
“はははははっ。……まぁ、いいや”

で、それから3週間ほど経った頃、オレの家に「ハム」って呼ばれてる男の後輩が遊びに来た。何でハムって呼ばれているかというと、ソイツは体格は180センチ以上、体重も120キロ近い巨漢なのにもかかわらず、顔が小動物のハムスターのような可愛い作りなので、それを縮めてハムと呼ばれているのだった。
「板谷さん、それって何スか?」
 オレの仕事机の端っこにある2本のスプレー缶、それを指さしてくるハム。
「ああ、これは前に漫画家の沖田に貰った毛生え薬なんだけど、オレは使わねえからさぁ」
「……板谷さん、1つお願いがあるんですけど」
 急に真剣な様子になるハム。
「え、何?」
「使わないなら、その薬を、うっ……売ってもらえませんか?」
 そう言われて、ようやくオレもピンときた。ハムの頭髪、その脳天部分は禿げているというわけではなかったが、少し薄くなっているのだ。で、ハムはわりかしお堅い会社に勤務しているので、頭をスキンヘッドにするわけにもいかず、そのことについては長年悩んでいたに違いなかった。
「じゃあ、このスプレーは2本ともやるよ」
「いや、ちゃんとお金を払いますよ」
「だって、オレも沖田からタダで貰ったものだしさ。あっ……あと、コレも持ってけよ」
 そう言って、机の引き出しの中からスプレー缶と一緒に貰った錠剤を取り出すオレ。
「スプレーは1日1回を脳天に。それから、この錠剤も1日1錠飲んでな」

 で、それから2ヵ月後。オレがハムに毛生え薬を渡したことなんかとっくに忘れていた晩、そのハムからオレのケータイに電話が掛かってきた。
「おお、ハム。久しぶりだなぁ~!」
『あっ……はい』
「おい、どうしたんだよ、元気無えなぁ~! ……あっ、そう言えば、あの毛生え薬って使ってるか?」
『それがですねぇ………いま、それで生きるか死ぬかの事態になってるんですよ』
「はぁ!? い、生きるか死ぬかの事態?」
『いや、実はあの2本のスプレー缶に入った薬は1カ月半ぐらいで無くなっちゃいまして、しかも、スプレーをかけた脳天の毛が更に薄くなっちゃって……』
「ええっ!!」
『先日も洗面台の鏡の前で髪をクシでとかしてたら、1番下の7歳の娘が急に泣き始めまして……』
「えっ、何で?」
『娘曰く“お父さんがクシで髪をとかす度にドンドン髪の毛が抜けて、このままじゃお父さん死んじゃうよぉぉぉっ~~~!!”って泣き始めたんですよ』
「……………」
『で、スプレーの薬は半月前に無くなっちゃって、今、ボクの頭って脳天が完全にツルツルになって、アルシンドみたくなってます……』
 で、慌てて電話を切ったオレは、そのまま返す刀で沖田のケータイに電話。
『え、じゃあ、ツルツルの状態のままなんですかぁ!? フヒャハハハハハハハハハハハハハハハッ!!』
「おいっ、笑い事じゃないっつーの!! ハムの奴、今にも自殺しそうな感じだったぞっ!
『いや、あの薬をつけると、確かに最初は髪の毛が完全に抜けちゃうんですよ』
「はぁ……?」
『でも、2~3日もすると今度は急に毛が生えてくるようになるんですよ。でも、そのゲッツさんの友達はツルっ禿げになった状態で薬が無くなっちゃったから、ブッ……ブハハハハハハハハハハハッ!! そ、そのツルっ禿げの状態が今も続いてるんですよ。プハハハハハハハハハハハハハハハッ!!』

 その後、沖田は自分のマンションにある旦那が使ってた残りの2本のスプレー缶をオレの家に送ってくれ、更にそれが無くなった時のことを考えて、そのアメリカの毛生え薬が買えるネット上の会社の連絡先も教えてくれた。
 で、それから数カ月後。ハムの脳天の毛はフサフサとまではいかないが、以前よりも全然黒々となっており、奴の娘も最近では自分の父親が洗面台で髪の毛をクシでとかしてるのを見て、嬉しそうに笑っているらしい。



 しかし、確かに頭がアルシンドみたくなった時点で薬が無くなったら、そりゃあ人によっちゃあ死にたくもなるわな。ハム、悪かったね(笑)。




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  2019/10/15   ガイドワークス 管理者

Vol.86 不利だよなぁ~、雄の親子関係って


 2014年9月4日、親父のケンちゃんが他界した。脳梗塞を何度か繰り返し、徐々に弱まって死んでしまった。
 オレは2012年の年末ぐらいからは、ケンちゃんを家族以外の人間には会わせなかった。体力自慢の体もすっかり衰え、脳梗塞で右半身が麻痺してしまったために1人では歩けなくなり、唇も半分しか動かなかったので、何を喋っているのかもサッパリわからなかった。オレはそんなケンちゃんを家族以外には見せたくなかったし、ケンちゃん本人もまた他人には見られたくないと思ったのだ。

 が、ただ1人、その時期にケンちゃんに会わせた友達がいる。それが香川県に住む、元々はオレの本の読者だった合田くんだった。合田くんとは、2012年の正月にオレが1人で香川県に行った時に、町内のうどん屋で彼がオレを待ち伏せしていて、それがキッカケで友達になった。もっとも統合失調症という重い精神病を患っている合田くんとの付き合いは、初めのうちは戸惑ってばかりいたが、それでもオレたちは会う度に仲良くなっていった。
 そのうち合田くんの家にもお邪魔するようになり、彼の御両親にも会った。2人は病院に度々入院していた合田くんのために生活費の殆どを使い、生活は決して楽そうではなかったが、それでも明るいところに好感が持てた。そして、香川に行く度に何度も会っているうちに、さらに合田くんの家族の特徴がわかってきた。

 合田くんはお母さんとはウマが合う。が、お父さんとはウマが合わなかった。ただ、同じ部屋で話しているだけなのに、何かというと合田くんはお父さんに文句を言い、お父さんの方もお前みたいな奴にそんなことを言われる筋合いはないとスグに言い返していた。でも、何年にも渡って合田くんの家にお邪魔していたオレにはわかっていたのだ。合田くんがお母さんが好きなのは、オレと同じでマザコンだからだ。が、合田くんは実はお父さんのことも大切に思っているのだ。
 なんでソレがわかったのかと言うと、オレは合田くんの家に何度も行くようになって、お父さんに日本酒を毎回お土産として持っていくようになった。合田くんの家で唯一お酒を飲むお父さんは、普段は安い焼酎とか発泡酒を飲んでいるので、オレがソコソコ入手困難な日本酒を持っていくと、一晩で一升瓶を空にしてしまうのだ。で、オレはお父さんには毎回2本ずつ持っていったが、そのうち合田くんのお母さんが飲み過ぎだと嘆き始めたので、再び合田くんの家に向かう1日前に電話で「今回の日本酒の土産は1本だけにした方がいいと思ってるんだけど、合田くんはどう思う?」と訊くと、彼は「いや、でも、ウチの親父はゲッツさんが持ってきてくれる日本酒をホントに楽しみにしてるので、1本だけだとガッカリすると思いますよ」という答えが返ってきたのだ。そう、合田くんがお父さんのことをどうでもいいと思っていたら「ええ、1本で充分ですよ」といった答えが返ってくると思うのだ。つまり、「1本だとガッカリすると思いますよ」という言葉は、まさに合田くんのお父さんに対する思いを凝縮したものだったのだ。

 また、オレは1度だけ合田くんがお父さんに対して、すまないと思っているみたいなことを話されたことがある。
「ウチの親父なんか給料も安くて、何の特技もないし、遊びだって全然してないのに、俺が頭がオカしくなって病院に入れられる度にハンパない金額を払い続けて、まともな貯金だって0ですよ。逆に俺が親で、俺みたいな息子が生まれたら殺してますよ」
 それでも合田くんと彼の父さんが同じ部屋にいると、しょっちゅう口ゲンカ。……まぁ、オレだってケンちゃんのことは嫌いじゃなかったけど、やっぱり家族とかで飯とか食べてるとケンちゃんに対してムカつくことが必ず出てきて、でもケンちゃんだって息子のオレには絶対に言い負かされたくないから、結局は毎回結論が出ないケンカばかりしてたんだよなぁ……。で、今、オレにも20才近くなった1人息子がいるんだけど、奴と言い争っていると、ふと、オレと言い争っていたケンちゃんの気持ちがようやくわかるような気がしてきたんだよね。

 で、2014年の8月。オレが書いた小説が再び東映で映画化されることになり、その撮影期間中にオレは香川から合田くんを東京に呼んだ。そしてその現場に何回か合田くんを連れて見学に行った後、自分の家に泊まっていた合田くんをケンちゃんが入院している病院に連れて行くことにした。
 合田くんはオレの本に出ている、昔から興味があったケンちゃんに急遽会うことになったということで急に緊張した感じになっていた。しかし、個室のベッドに寝ていたケンちゃんは、もう殆ど意識もなく、ただ何本もの管に繋がれた、まさに植物状態に近い感じだった。そう、写真で見ていたよりも小さく、体もシワシワで、ただ喉から空気を入れられ寝続けている小さな老人、合田くんはいきなり自分に飛んできたそのビーンボールにただただ面食らっていた。
「合田くん……。オレも親父とは昔からマトモに仲良く喋ったことなんて殆どなくて、顔さえ合えばいつもケンカばっかりしてたんだよ。でも………でもさ、こういう状態になっちゃうと、そのケンカも出来なくて、ただこうして病院に来て、その寝顔を見ることだけしか出来ないんだよ……。だから合田くんはまだ親父さんとはもちろんケンカも出来るけど、たまには昔のバカなことを笑い合いながら話し合ったり、ちょっとした小さな旅行だって出来るんだから……ホント、今のうちだよ。……こうなっちゃたら、もう遅いんだからさ」
「………は、はい」
 それから1カ月後、ケンちゃんは死んだ。
 で、その後もオレは合田くんのうちには何度かお邪魔してるのだが、相変わらず合田くんはお父さんに憎まれ口ばかり叩いている。が、それでもいいと思った。アレ一発で男の親子関係がわかったら、どんなにこの世が良くなることか。オレだって今、父親の立場になったら、自分は息子よりは世間をわかってるとは思いつつも、奴からの口撃でタジタジなんだから。



 あ~あ、今、息子がオレの話を真面目に5分だけ聞く薬があったなら、20万円ぐらいでもソレを買うんだけどなぁ………。







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  2019/09/15   ガイドワークス 管理者

Vol.85 元ヤンはつらいよ


 オレの友達に隣の八王子市に住んでいる、10コ下のシンヤくんがいる。
 彼については、このコラムでも何度か書いたことがあるが、オレと同じく元ヤンで、若い頃はホントに好き勝手に時を過ごしていた。で、高校を卒業したシンヤくんは早々に結婚に失敗し、が、型枠大工の仕事を必死で頑張り、その後、再婚して今の素敵な嫁と3人の子供を作った。そして、それと並行して型枠大工の仕事も波に乗り、遂には30代で地元、八王子に白亜の豪邸を建ててしまったのである。そう、普通に考えれば、ちょっとしたサクセスストーリーだ。
 ところが、間もなくして契約していた他所の会社が潰れた煽りをモロに受け、気がつけば借金が7000万円。止む無くシンヤくんは破産宣告をし、そして必死に再就職先を探していた時に声を掛けてきたのが、以前このコラムにも記したがオレの旧友のキャームだった。
 ま、その時にシンヤくんが味わったエピソードは以前も書いたので省略するが、その後、シンヤくんは嫁と共に他所の会社で働き続け、現在もマンションに暮らしながら必死に3人の子供を育てているのだ。そんなシンヤくんが今も自慢にしているのが、腕力と長女だった。昔から力仕事に従事していたシンヤくんは、腕力がホントに強く、彼より体重が30キロも重いオレが腕相撲の勝負をしてみたところ、これが全然勝てないのである。また、シンヤくんの長女はオレのガキと同い年の現在18歳で、両親のこともよく助けている非常に良い娘で、シンヤくんも彼女のことが可愛くて仕方がない様子なのだ。そして、少し前にお互いの子供についてシンヤくんと話したところ、「まぁ、好きな道に進んでくれればいいっス」と言った後、
「でも今、変な男をウチに連れてきたら、自分その男をメタメタにブッ飛ばしちゃうと思います」という親バカ発言をしていたのである。

 ちなみに、腕力自慢のシンヤくんでも1人、絶対に勝てない男がいた。その男とはオレが「ワルボロ」という原作を書き、その「ワルボロ」を東映で映画化する時にプロデューサーになった菅谷さんという人で、元々は北海道の函館でラグビー少年だった彼は、高校を卒業と同時にラグビー推薦で中央大学に入って、ソコでみっちりと体を鍛えまくったため、もう冗談抜きでプロレスラーのような体をしているのだ。で、オレを介して知り合ったシンヤくんと菅谷さんが、ある日、ひょんなことからどっちが腕力が強いのかという話になり、もちろんシンヤくんは「いや、俺が菅谷さんに勝てるわけがないじゃないですかぁ~」とは言っていたものの、瞳の奥にはチラチラと自信の炎が燃えていたのである。その後、2人はオレの友達の塚ポンの串カツ屋のテーブルに向かい合って座り、遂に本気の勝負を始めた。結果は超楽勝とまではいかなかったが、やはりラグビーをやっていた身長181センチ、体重100キロ超の菅谷さんの勝ち。そして、それから数カ月後にウチに遊びに来たシンヤくんは、こっそりと次の一言を吐いたのである。
「今、仕事から帰ってきたら自宅でダンベルを上げてるんですよ、次に菅谷さんと腕相撲をやって勝つために(笑)」
 そう、やっぱりシンヤくんは元ヤンで、腕力に対して菅谷さんに負け続けるのは、どうしてもガマンできなかったのだ。もう1つ元ヤン的なことを言えば、菅谷さんは年齢的にはオレの15コ下で、ということはシンヤくんよりも更に5つ年下になるのだ。で、オレがなんでそんな菅谷さんのことを「さん」付けで呼んでいるかというと、実は「ワルボロ」を東映で撮影している時にオレは脳出血を患ってしまって、その際に菅谷さんには筆舌に尽くしがたいほどのお世話になってしまったのだ。それ以来、オレは彼のことを尊敬して菅谷さんと呼んでいて、なのでオレの後輩のシンヤくんもオレが「菅谷さん」と呼んでいるのに「菅谷くん」とは呼べず、その結果、彼も「菅谷さん」と呼んでいるのである。が、シンヤくんの中には、自分よりも5つも年下の男を「さん」付けで呼んでいるという、どこか気恥ずかしさみたいなものもあるだろうし、その相手にいつまでも自慢の腕相撲を負け続けてるとなると、ハッキリ言っちゃえば立つ瀬がなくなるのだ。

 数カ月後。オレは菅谷さんとジムに通っていた。そう、月に1~2度、菅谷さんは土日になるとオレが通い始めた立川市のジムまで来て、自分のトレーニングは勿論のこと、オレにスパルタ指導をするようになっていた。そして、その筋トレが終わり、2人で隣の昭島市でラーメンを食べている時にオレは不用意に菅谷さんにある事を喋ってしまったのである。
「そう言えば何ヵ月も前から、シンヤくんが菅谷さんに腕相撲で勝つために特別トレーニングをしてるみたいっスよ(笑)」
 次の瞬間、菅谷さんの目が妖しく光った。そして、それから2ヵ月後にオレの通ってるジムに、オレ、菅谷さん、シンヤくんが揃っていた。
「はい、じゃあ板谷さん。まずはチェストプレスいきましょう!」
 そう言って、オレを大胸筋を鍛えるマシーンのイスに座らせ、ウエイトを75キロにセットする菅谷さん。そして、4、5、6回と徐々にプレスするスピードが落ちてくると、すかさず菅谷さんの声が飛んでくる。
「はい、キレてるよっ。はい、あとラスト2回! いいよっ、胸筋がはち切れそうだよ!!」
 で、ようやくオレが8回目のプレスをやり終えると、
「はい、じゃあ次はシンヤさん!」
 そう言って、シンヤくんをチェストプレスマシンのイスに座らせる菅谷さん。そして慢心の力を込めてシンヤくんがバーをプレスしようとしたのだが、
「あ、あれっ。おかしいな。ぐっ……ヤバ、全然動かないぞ、これ!?」
 オレがプレスしていたバーがまったく動かず、焦りまくるシンヤくん。すると……、
「はい、どいて!!」
 そう言ってシンヤくんをイスからどかすと、ウエイトをこのジム最高値の90キロにセットし、もの凄い勢いでプレスを始める菅谷さん。そして、ア然とした目でソレを眺めるシンヤくん。で、菅谷さんは全9種目をこの方法で繰り返し、それが終わった時にはシンヤくんが完全なダメな捨て子の顔になっていた。
 そう、つまり菅谷さんは2種類のショック、それをシンヤくんに与え続けたのである。1つ目のショックは、自分よりも力が弱いと思っていたオレが動かしていたマシンがシンヤくんにはピクリとも動かせず、それに呆然としていると今度はその倍近くの、このジムの最高値の重さを菅谷さんが難なくこなすのだ。それを9回繰り返されたのである……。

 それから1ヶ月ほどして、シンヤくんのツイッターに衝撃的な写真が載っていた。
 シンヤくんのマンションの居間、そこに仲良く並んで腹ばいに寝転びながらTVを観ているシンヤくんの長女と、その彼氏らしい茶髪の男が写っていたのだ。オレはスグにシンヤくんに電話を入れてみた。そう、少し前に長女に彼氏みたいな男ができて、時々夜遅くなると長女を車でマンションまで送ってくるという。もちろん、シンヤくんは気が気じゃなかったが、とはいえ娘には何も言えず、最近では針のむしろに座っているような気分で過ごしている。その状態が少し前だったのに、今はその彼氏が堂々とマンションにまで上がり込んできて、皆のいる居間で並んで寝転んでいるのである。そして、その状況をシンヤくんは写真に撮り、自分のツイッターに載せているのだ。そりゃオレだって、どういうことか知りたくなるのが当たり前である。
「てか、ちゃんとした男なの? シンヤくんの長女の彼氏は?」
『いや、チャラいっス、メチャメチャ』
「おい……。じゃあ、何でそんな男を家にまで上がらしてんだよっ?」
『いや、実は嫁に言われたんスよ。俺が娘に文句言おうとしたら、腕を引っ張られて隣の部屋に連れていかれましてね。娘に文句言いたいのはわかるけど、じゃあ、アンタが18歳の時は何やってたのよっ? もっとメチャメチャだったでしょ!って。……そう言われたら何も返せなくなっちゃって』
「うう、確かに………」
 それから更に数週間後。埼玉西武メットライフドームにライオンズ戦を見に行った後で塚ポンの串カツ屋に寄ると、不意にその塚ポンが串カツを揚げながら次のようなことを話してきたのである。
「そう言えば板谷さん、昨日、シンヤさんのツイッター見ました?」
「えっ、見てないけど……」
「なんかシンヤさんのマンションの風呂に、シンヤさんの長女と彼氏が一緒に入ったらしいですよ」
 そう言って、思わず笑い出す塚ポン。
「マ、マジで……!?」
「なんか昨夜はシンヤさんの娘や息子の友達が沢山遊びに来てて、その殆どが泊まるっていうから、シンヤさんが冗談で長女とその彼氏に『じゃあ、お前ら一緒にサッサと風呂入っちゃえよ』って言ったら『はーい!』って返事して、そのまま入っちゃったらしいんですよね、プハッハッハッハッ!!
(ま、まさに生き地獄やな………)
 そう思ったオレは、シンヤくんに『自宅で自分の娘と彼氏が堂々と入浴……。地獄の3丁目やね』というLINEを送った。すると2分後、次のようなLINEが返ってきた。
『板谷さん……。最近、娘に対する意識が変わりました。もう、生きてりゃいいです。』
 現在、シンヤくんの長女は2年間で授業料が400万円もかかるデザイン系の専門学校に通っている。よって、最近のシンヤくんは月に2~3日しか休みを取らず働き続けているのだ。

 シンヤくん。元ヤンって辛いなぁ……………。






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  2019/08/15   ガイドワークス 管理者

Vol.84 答えて、陳建一さん!


 はい、今回はとびきり短いよぉ~。

 最近、オレは混迷していることがある。今回はそれを説明しよう。
 1999年4月。オレの住んでいる立川市、その駅の南側に大きなビルが出来た。名称は「グランデュオ」。そして、その南口側初の駅ビルの売りになったのが、レストラン街の7階全部が中華料理店しか入ってないという“立川中華街”だった。店の数は20店舗近くあり、当時、この駅ビルを訪れた大半の人がこの立川中華街を目指してきたのである。
 その中でもダントツに人気があった店が当時、フジテレビの深夜にやっていた『料理の鉄人』で、鉄人役の1人を任されていた陳建一が出店した「陳建一麻婆豆腐店」だった。同店の麻婆豆腐は辛味も効いていて、また、オレのような大食漢のためにも麻婆豆腐セットに付いているライスとスープがお代わり自由となっていた。しかも、値段も税込で1050円だったので、オレも月に1~2回は通うようになっていたのである。
 ところが、立川中華街オープンから12年が経った2011年の3月、客の不入りにより立川中華街が閉店してしまったのだ。いや、実はオレもその頃には全然立川中華街を訪れなくなっていた。理由は、陳建一の麻婆豆腐店以外には、あまり美味しいと思える店が無く、大好きだったフカヒレ飯を出す「筑紫楼」が撤退してしまってからは足を踏み入れることすら無くなっていた。さらにオレは、美味しい麻婆豆腐作りに必要不可欠な花山椒という香辛料を入手出来るようになっていたので、麻婆豆腐は自分で作るようになっていたのだ。

 で、それから4年ほど経った、ある昼過ぎ。立川駅近くのサ店で打ち合わせを終えたオレは、ふと陳建一麻婆豆腐店のことが気になって久々にグランデュオの7階に行ったところ、位置は変わっていたが存在していたのである、陳建一麻婆豆腐店が!
 オレは相変わらず混んでいた同店に入り、そして迷わず麻婆豆腐セットを注文。で、食べてみたところ、いや、これがまた改めて旨いと思ったのである。特に気に入ったのが、昔は全く気にしていなかったのだが、出された麻婆豆腐に入っている豆腐が形がほとんど崩れず、そのまま大きな形で入っていて、またそれが美味しかったのだ。
(ああ、そう言えば昔、目の前の厨房内で料理人がフライパンの中で麻婆ソースにカットされた豆腐を絡ませてる時、その1つ1つの豆腐の形が崩れないように、まるで小動物の赤ちゃんでも扱うような丁寧さでかき混ぜていたよなぁ~)
 家に帰ってそんなことを思っていると、また陳建一麻婆豆腐店に行きたくなり、それからは年に3~4回は同店に行くようになった。

 ところが、つい1年ちょっと前。その日も陳建一麻婆豆腐店のテーブルに座り、料理の到着を今か今かと待っていたら、あろうことか、豆腐がメタメタに細かくなった麻婆豆腐がテーブルの上に乗ったのである。……いや、その日は何も言わず、その麻婆豆腐を食べて帰りましたよ。そう、その日はたまたま見習い中の料理人が作った麻婆豆腐で、焦ってかき混ぜたか何かして、豆腐の形をメタメタに崩してしまったんだろう。で、オレも、もう50代の半ばだ。そのくらいのことは許してやろうじゃないか。
 で、つい2ヶ月前。再びオレはグランデュオの中に入っている陳建一麻婆豆腐店に入り、麻婆豆腐セットを注文したところ、うぉいいいっ、この間ほどじゃないにしろ、やっぱし豆腐が派手な崩れ方をしてんじゃねえかよっ!!
 なぁ、陳さん! アンタは時々、自分が統括している店舗を回って味のチェックをしてるって聞いたことがあるけど、何かいっ? 四川飯店グループ方の仕事が忙しくて、麻婆豆腐店の方はどうでもよくなっちまったのかいっ? いや、それどころか、ゴルフの方が忙しくて、そんなことを注意する暇なんか1ミリも無いのかいっ?
 あのねぇ、オレはもう20年も陳建一麻婆豆腐店に通ってんだよっ。好きなんだよっ。アンタのところの麻婆豆腐が!! 何人の友達に勧めたのかも、最早その数だって多過ぎてわからねぇよ!!
 なぁ、陳さん! これでいいのかいっ。答えてくれよっ!!


 陳さぁ~~~~~~~んんん!!






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  2019/07/15   ガイドワークス 管理者

Vol.83 後でしかわからない全盛期


 オレが結婚した翌年ぐらいだったから、多分31歳の頃だったと思う。
 その日、ウチの家族、そして、オレの友達のキャームは夏の日曜日の午後3時頃、ウチの庭にある縁台を囲むようにして簡易イスに座っていた。ちなみに、ウチの家族というのはオレのジイさんとバアさん、親父のケンちゃんとオフクロ、そして、オレの嫁の計5名で、それにオレ自身と友達のキャームを加えた全7名がソコでくつろいでいたわけだ。
 縁台の上には、バアさんが茹でた何本ものトウモロコシが大きな釜に入ったまま置かれていて、皆、それに手を伸ばしてムシャムシャとパクついていた。

「あれ……?」
 突然、そんな声を上げる嫁。
「何だよ?」
「いや……何か、さっきからウシガエルが鳴いてるような声が……」
「ウシガエルぅ?」
 オレがそんな言葉を吐いた瞬間から、シーンと静まり返る縁台の周辺。が、数秒後……、
「そんな声、全然しねえじゃんかよ。空耳なんじゃねえかぁ~?」
 そう言いながらウチの嫁を見るキャーム。
「いや、確かにそんな声がしてたんだけどなぁ……」
「まぁ、いいや。ほら、どんどん食おうぜ、トウモロコシを。早く食わないとバアさんが茹でたのが冷めちゃうからよ」
 オレがそう言った後、再びトウモロコシにかじり付く面々。ところが、また数秒後……、
「ほらっ、絶対近くにいるよ、ウシガエルが! ほらっ、聞いて、ほらっ!」
 嫁のそんな言葉に再び耳を澄ます一同。………が、そんな鳴き声は全く聞こえなかった。
「おかしいなぁ……。確かに聞こえたんだけどなぁ~」
「だから、お前の空耳だっつーの! こんな全員で注意して聞いてるのに、誰も聞こえないなんておかしいだろっ?」

「あ~あ~、それにしても、この子はいくら何でも食べすぎだよぉ~。さっきから見てたら、もう6本も食べてるよぉ~」
 唐突に割り込んでくるバアさんの声。そして……、
「うるせえっ、いいだろうよ、こんな何十本と茹でてあんだからっ!!」
 そんなバアさんを睨みつける親父のケンちゃん。
「あ~あ~、この子は揚げ餅だけじゃなく、トウモロコシもこんなバカみたいに食べちまうのかよぉ~」
「じゃあ、おメーもこんなバカみたいに茹でてんじゃねえよっ!!」
「あ~あ、60を過ぎた息子に“おメー”なんて呼ばれちまうのかよぉ~。茹でるもんじゃないなぁ~、トウモロコシなんて」
「そういう問題じゃねぇだろっ、このバカババアが!!」
「あ~あ、またババアの前にバカも付いちまうのかよぉ~。死んじまえばよかったなぁ~、関東大震災の時にこの子と一緒に」

「あっ、ほらっ、今、聞こえた!! 間違いなく近くにいる、ウシガエルがっ!」
 再び割って入ってくる嫁の言葉。そして、またしても静まり返る縁台の周囲。と、数秒後……、
「ダハッハッハッハッハッハッハッハッ!! わ、わかったよっ、秘密が……ダハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
 突如として、狂ったように笑い始めるキャーム。
「な、何だよ、秘密って?」
「いや、さっきからカズちゃん(オレの嫁)がウシガエルの鳴き声っていってるのは、ダハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!! オジイさんの鼻が鳴ってる音だよっ」
 そうなのである。ウチのジイさんは蓄膿症ってわけじゃないけど、昔から何かを食べている時などに鼻が「ガァーゴ……ガァーゴ……」と鳴ることがあって、その時はトウモロコシを齧りながら食べていたので、余計に鼻呼吸をしなければならず、いつもより大きな音が鳴っていたのである。
「ダハッハッハッハッハッハッハッ!! わからないはずだよっ。カズちゃんが『ほらっ、ウシガエル、ほらっ!!』って言ってる時は、オジイさんも耳を澄ましてトウモロコシを齧るのを止めてるから」
「グハッハッハッハッ!! そうかっ、自動的に鼻呼吸が止まって、例のウシガエルの鳴き声もしなくなったってわけかっ、グハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
 その後、オレとキャームの笑い声につられるようにして、一斉に爆笑し始める一同。しかも、最もオカしかったのは当のウチのジイさんも爆笑し始め、また、その笑いがあまりにも激しかったから、笑ってる最中もまるで模範解答でも発表しているかのように、例の「ガァーゴ……ガァーゴ」という音を同時に響かせていたことだった。オレ、この時、あまりにも激しく笑い過ぎて、マジで少し小便漏らしちゃったもんな。


 で、それから20数年後………。今はジイさん、バアさん、ケンちゃん、オフクロも死んじゃって静かなばかりか、現在は嫁とも2日に1言ぐらいしか話さず、キャームとも年に1回ぐらいしか会ってない。今、考えてみたら、この時がオレにとって1番いい時代だったかもね……。つーことで今月は以上です、キャップ!




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  2019/06/15   ガイドワークス 管理者

Vol.82 韓国怪人紀行(仮)


 昔、紀行本を出そうとして、韓国に漫画家のサイバラの元旦那のカモちゃんと取材に訪れたことがある。
 が、現地でオレはカメラマンのカモちゃんと大ゲンカをして、仮にその本をオレが書き上げたら定価の6%の印税が入ってくるのに対して、ロクに写真も撮ってないカモちゃんにも4%の印税が入ることになっていて、それがどうにも面白くなくて、結局オレはその紀行本の原稿は1行も書かなかったのである。

 それから何年か経ったオレが41歳の時に、さすがに書かないままっていうのも悪いと思って、その「韓国怪人紀行」を書くために、自腹を切って、もう1度韓国に取材に乗り込んだのだが、その時に臨時のカメラマンとして同行を頼んだのが当時、福岡でパチプロをやっていたハッチャキだった。この男は過去にもオレのコラムにちょくちょく出ているが、専門学校からの友達で今年でその付き合いが35年にもなる仲だった。
 で、俺とハッチャキは、福岡から高速船に乗って韓国の釜山港へ入り、その釜山で3~4泊した後、韓国の新幹線と言われている高速鉄道KTXで首都ソウルに入った。そして、確か、その翌日だったと思う。オレとハッチャキは、ソウル郊外にある日帰り温泉を訪れた。ま、正確に言うと日帰り温泉というより、男女ともデカい湯舟と脱衣所がある、大きな銭湯のような施設だった。
 オレたちは入口で料金を払い、脱衣所にあるロッカーに着てるモノを入れて湯舟に浸かった。そして、15分後ぐらいにオレはロッカーに戻り、そこからデジカメをタオルに包んで再び洗い場に戻ると、そこにいたハッチャキにソレを手渡しながら次のようなことを頼んだ。
「オレが今、湯舟に浸かるから、そこでイイ湯だなって感じでポワッとしてる表情のオレの写真を何枚か写してくれよ」
 コックリと肯くハッチャキ。で、早速オレは湯舟に入り、その縁に両腕をかけて気分がよさそうな表情を作った。

   カシカシカシ! ………カシカシカシカシッ!

 4~5メートル離れたハッチャキの方からそんな音がしたので、オレは(もういいよ)という感じで、小さく右手を上げながら湯舟から出ると、ハッチャキからカメラを受け取って、そのまま脱衣所のロッカーにカメラを戻した。そして、急にオシッコがしたくなったので、キョロキョロと辺りを見回すと、20メートルほど離れたところにトイレのマークが書かれたドアが見えたので、その中に入って用を足したのである。そして、脱衣所に戻ってくると、何やらその中心部に小さな人垣が出来ており、オレも近づいていってみると、あろうことか、その中からハッチャキの声が聞こえた。
「だから盗撮じゃないっつーーの!! オレは、そんな趣味なんか無えよっ!」
 ああ、ヤバい!と思った。どうやら、さっきオレのことを撮ったハッチャキがホモの盗撮犯だと思われていて、10人ぐらいの韓国人に詰め寄られていたのだ。
(どっ、どうする、オレ!?)

 と、ハッチャキを囲んでいる中年客たちの怒りもヒートアップしだし、ハッチャキの何倍もの声量の罵声が飛び交い始めていた。
「コッ、コージン、マールン、ハジアナ!」
 そんな中、ハッチャキの口から今度はそんなぎこちない言葉が放たれた。
「アエッ!?」
「オンガァ~!!」
 ハッチャキの言葉に対して、韓国の中年客たちの多分「何だよ!?」「ふざけるなっ!!」という言葉が返ってきていた。
「コージン、マールン、ハジアナ! ……コージン、マールン、ハジアナ!」
 その言葉を夢中で繰り返すハッチャキ。目も当てられなかった……。実は、その「コージン、マールン、ハジアナ!」という言葉は数年前、カモちゃんと韓国に取材に来た時にTVのCMで散々流れてたセリフで、日本でいう藤岡弘みたいなオヤジが女にあるドリンクを勧めた後、自信タップリの顔で発するセリフなのだ。当時の韓国のTVCMは日本よりその種類が極端に少なかったので、TVを点けると必ずと言っていい程、その「コージン、マールン、ハジアナ!」が流れてくるのである。で、そのセリフがあまりにもしつこかったので、オレはその時にオレたちに付いてくれてた学生バイトのイくんに「このオッさんて、何って言ってんの?」と尋ねたところ、「男はウソつかない!」という意味ですといった答えが返ってきた。
 それ以降、オレとカモちゃんはその旅で決定的に仲が悪くなるまでは、例えば定食屋に入ってオレが変なドリンクを頼み、カモちゃんに「何だよ、それ旨いのかよ?」と言われると「旨いよ」と返し、再び「ホントに旨いのかよ?」と聞かれると、そこでオレは自信満々の表情を作って「コージン、マールン、ハジアナ!」というセリフを吐き、カモちゃんとイくんが爆笑するといったパターンをことあるごとに繰り返してきたのである。
 で、それから数年後のこの旅行中も、オレはそのセリフをちゃんと覚えていて、ハッチャキには次のようなことを言っておいたのである。
「ハッチャキ。万一、韓国でオレがいないところでトラブルに巻き込まれたら"コージン、マールン、ハジアナ!"って相手に言えよ。そしたら絶対大丈夫だからな」
「えっ、それってどういう意味なの?」
「まぁ……日本も韓国も近いんだし仲良くしましょう、っていう意味だよ」

 で、話を戻すと、ハッチャキはその時にそれをそのまま実行したのである。つまり、韓国の男たちとは、
「お前は、そんなに男の裸に興味があるのかっ!?」
「男はウソつかない!」
「だからっ、お前はホモかっ!?」
「男はウソつかない!」
「お前は、わざわざ日本から男の裸を撮るためにココに来たのかっ!?」
「男はウソつかない!」
 こんな感じのやり取りになっていたはずである。
    バチンッ!!
 突然、響き渡る重い音。で、無理矢理その人垣の中に突っ込んで様子を伺うと、怒鳴り声を上げている男の前でハッチャキが驚いたような顔をして頬を押さえていた。
    バチンッ!! バチンッ!!
 数秒後、再び2発の猛ビンタがハッチャキの頬に炸裂。
「おまんっ、何やるっとたいいいっ!!」
 そう叫んだかと思うと、目の前の韓国人の頬を叩き返すハッチャキ。すると、その韓国人もビンタを入れ返し、またしても呆然としているハッチャキに再び2発、3発と追加のビンタが入った。
(ヤ、ヤバいっ。何とかしないとシャレにならないことになるぞ!!)

 気がつくとオレは、その人垣の中心に踏み込み、ハッチャキの手を引っ張りながら自分たちの服を入れておいたロッカーへと向かった。ふと気がつくと、脱衣所で事の顛末を見ている男の数が30人近くに膨れ上がっていた。
「ハ、ハッチャキ。ロッカーを開けたらパンツだけ履いて、あとの荷物は全部手に持って、とにかくこの建物の外にでるぞっ!」
 それからのオレは、無我夢中でパンツを履き、今にも飛びかかってきそうなオヤジ2人を日本語でメチャメチャ怒鳴りつけ、とにかくハッチャキの腕を掴みながら建物の出入り口に走った。
 約10分後。温泉施設から400~500メートルぐらい離れた喫茶店に入り、そこでようやく一息つくオレたち。
「えっ……。お前、泣いてたのっ?」
 ハッチャキの顔を見ると、目の周辺が微かに濡れており、その下にある左頬が真っ赤に腫れ上がっていた。
「板谷くん……。俺、殺されるかと思った」
「ブハッハッハッハッハッハッ!! お前、そっ、その顔……ガハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
 ハッチャキの顔、それが完璧にニューヨークの鬼警部にブチのめされた直後の、アル・パチーノ演じる映画『ゴッド・ファーザー』のマイケル・コルレオーネになっていた。
「ガハッハッハッハッハッハッハッ!! た、頼むっ。コ、コッチ見るな……ブハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」

 で、その取材はそれ以降は割とスムーズに終わり、いざ「韓国怪人紀行」を書き下ろそうと思っていたらオレは脳出血になってしまい、そのリハビリに何年もかかって、結局「韓国怪人紀行」は書かずに終わってしまったのである。



 版元のスターツ出版さん、そして、あの世に行っちゃったカモちゃん。それと、当時「韓国怪人紀行」を読むのを楽しみにしてた読者の皆さん、ホントにすいませんでした。ペコリ。





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  2019/05/15   ガイドワークス 管理者