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ゲッツ板谷のスケルトン忠臣蔵

Vol.79 オフクロ執念のNO!


 さ、もうそろそろ、この話も書いていい頃だろう。

 オレの今までの著作を読めばわかる通り、オレは完全なマザコン男である。幼少の頃からオフクロには散々迷惑をかけてきて、しかも、20歳ぐらいまではそれを悪いとも思っておらず、かなりひどい仕打ちをしてきたのだ。で、20代も半ばになり、ようやくオフクロのオレに対する無償の想いがわかってきた頃から、今度はオフクロのことがメチャメチャ好きになった。そして、自分の人生の半分ぐらいをオフクロを喜ばせるために使おうと思い、とにかく必死コイて文章を書いてきたのである。

 そのオフクロが他界してから10年以上が経つが、時間が経てば経つほど、そのオフクロの偉大さが身に染みてわかるようになってきた。義父であるヤクザにイジメられながらも高校を卒業すると、スグに丸の内の百貨店に就職し、数年後にバカだけど途方もなく真面目な親父と知り合って結婚。が、その親父の実家が10人近くいる大家族で、その人たちの食事や洗濯に1日中追われながら、それと並行してオレたち三兄弟を育ててきたのである。
 やがて親父の兄弟たちが次々と結婚して板谷家を巣立っていくと、既に40近くになっているというのに近所にあった老人施設で働き始め、夜も遅くまで老人養護の資格を取るために勉強し続けた結果、60になる頃には計200名近くいる職員の中で園長になっていたのだ。客観的に見て、それだけでも凄いのに、さらにオフクロは老人は元より、様々な職員たちの相談にも乗ったばかりでなく、家に帰ってくると今度は酔っ払った自分の旦那や実弟のヤクザの愚痴や泣き言も聞かねばならなかった。そう、オフクロは生きている時に、一体どれだけの人間の支えになっていたことか……。
 そんなオフクロが勤めていた老人施設で園長になった半年後、運の悪いことに自身が肺癌になっていることがわかった。スグに手術して癌になっている部分は全部切除したが、1年半後に再発していることが判明。そして、オフクロは苦しい抗癌剤治療に入ったが、その時ですら家族にも極力負担がかからないよう、自分のことは当たり前に自分でこなしていたのである。

 そして、ここからが今回の話の本題なのだが、オフクロが肺癌を患ってから3年目にウチのバアさんが死んだ。そして、ウチの親父は5人兄弟の長男だったので、当然オレたちが住んでいた土地も相続の対象となった。で、税理士に相談して分けてもらった結果、長男であるウチの親父は長い間ジイさんとバアさんと一緒に住んでいたので、他の兄弟より少しは多くの土地を相続することになったのだ。で、数年前に火事で全焼したウチの親父の母屋があった空き地は、親父の2番目の弟夫婦が相続し、そこにその叔父さんたちは家を建てることになったのである。
 ところが、それにオフクロが大反対したのだ。が、大反対したところで、その土地はもう親父の弟夫婦のモノなので、家を建てると言われれば邪魔する権利は親父にもオフクロにも無いのだ。てか、その叔父夫婦というのは、オレの結婚式の仲人をしてくれた2人なのだ。もちろん、その時にだって仲は悪くなかったのである。それなのに彼らがウチの前に家を建てると言い出した途端、オフクロが「止めてくれ!」と反対したのだ。
 結局、オフクロは自分の貯金で親父の弟夫婦が相続した土地を買い取って、以後、そこはウチの贅沢な駐車場となった。

「なぁ、オフクロ。叔父さん夫婦がウチの真ん前に家を建てるって言った時、何であんなにムキになって反対したの? そもそもあの2人はオレの結婚式の仲人もやってくれたし、バアさんが死ぬまでは仲良かったじゃん」

 オフクロが肺癌を患ってから4年半目。オレは自分の家の隣にあるオフクロが住んでいる家で、ヒーター付きのマッサージ機にかかっているオフクロにそのことを尋ねてみた。すると、こんな答えが返ってきたのだ。
「あの夫婦は旦那のOちゃんはいいんだけど、嫁のMちゃんが曲者でね。あの2人は結婚した当初は、この家の裏にあるオジイさんが建てた小さな家に少しだけ住んでたことがあってさ。その時、Mちゃんは私がいる所では板谷家の別の人の悪口を散々言って、そうかと思うと私がいない所では私の悪口を言ってたみたいなんだよ」
「えっ……そ、そうなのっ?」
「まぁ、今となってはそれはどうでもいいことなんだけど、私だって、あと何年生きられるかわかんないだろ。で、若い頃から色々な人の中で色々我慢したり踏ん張ってきたからさ。最後にこうして仕事も辞めて、あとはお父さんとノンビリ暮らそうと思ってたところに、またMちゃんが入ってきて、アッチではこんな事、コッチでは別な事を言われてイライラするのは、もう勘弁なんだよ。私は静かに暮らしたいだけなんだ」
(なるほどなぁ…………)

 オフクロは、この2年半後に死んだ。板谷家の親戚の中には、自分の旦那の兄弟を自分たちから遠ざけたウチのオフクロのことを悪くいう奴がいるかもしれない。が、オフクロは自分の人生の最終盤は、親父と2人で静かに、仲良く暮らしたいだけだったのだ。で、そうするには物事や人間関係をかき回す人物を近くに置いちゃいけないということを老人施設でつくづく感じ、そして、最後にどう思われようとソレを実行したのである。



いや、つくづくハンパない人生だよな………。



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  2019/02/15   ガイドワークス 管理者

Vol.78 ありがとう、黒澤さん


 2018年11月30日。「セントラル・アーツ」の社長、黒澤満さんが亡くなった。85歳だった。
 黒澤さんを最もわかり易く紹介すると、あの松田優作が主演を務めた映画『最も危険な遊戯』『蘇える金狼』『野獣死すべし』などのプロデューサーだった人だ。そして、これは付録だが、オレが原作を書いた『ワルボロ』『ズタボロ』が映画化される際にもプロデューサーになってくれたのが黒澤さんだった。
 黒澤さんは1933年生まれ。1955年に日活に入社し、1971年に日活がロマンポルノ路線へと転換した以降、その企画制作の中核として多くのロマンポルノ作品をプロデュースする。1977年に日活を退社後、今度は東映芸能ビデオに入社。同年に東映が新たに立ち上げた東映セントラルフィルム(その製作部門が後の黒澤さんが社長を務める「セントラル・アーツ」に発展)に招聘されて、その第1回作品「最も危険な遊戯」が話題となり、以後、数多くの映画やTV作品をプロデュースし続けたのである。

 ま、要は東映に引き抜かれた黒澤さんは、東映の映画部門の中で兄弟会社「セントラル・アーツ」の社長に就任したことから察しても、モノ凄くヤリ手な人だったのだ。どのくらいヤリ手かと言うと、東映に入ってからだけでも映画部門では松田優作作品以外にも「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズなど全142作品のプロデュース。Vシネマも113作品のプロデュース。単発TVドラマは35本。そして、連続テレビドラマも「探偵物語」「プロハンター」「あぶない刑事」など計142作品のプロデュースを手掛けているのだ。
 ちなみに、黒澤さんの直属の部下であり「ワルボロ」「ズタボロ」のディレクターだった菅谷さんの話によると、単行本の「ワルボロ」を読んで面白いと思った菅谷さんが、映画化を考えてその本を黒澤さんにも読んでもらおうとしたが、その頃には既に70代の半ばになっていた黒澤さんが500ページもあるヤンキーもののブ厚い本など読むだろうかとも思ったが、一応ダメ元で渡したら翌日に黒澤さんに呼びつけられ、「お前、この作品の映画化権はとったのかっ?」と訊かれたという。そう、黒澤さんは1日で「ワルボロ」を読み、そして、映画にしようと即断したのだ。

 黒澤さんに最初に会った時、オレは松田優作の限定ジッポライターをいきなりもらった。そして、それからオレが銀座にある東映映画部の本社に行く度に、黒澤さんは熱心に俺の話し相手になってくれた。オレは本来、自分よりも年上の人と話すのがあまり得意じゃない。が、自分よりも30歳以上年の離れた、自分の父親より年上の人と何でそんなに離すことがあったのかと言うと、理由は3つあった。
 1つは、「セントラル・アーツ」が製作した『プロハンター』というTVドラマ。オレは昔、そのドラマが超好きで、特に主演の1人を張っていた藤竜也の大ファンだった。ジーパンの上には黄色いスウィングトップ。頭髪には薄っすらとポマードが塗られ、上半身は適度な筋肉に包まれていた。そして、そんな藤竜也とドラマの舞台となっていた横浜の街を、まるで恋する女子高生のような気持ちで毎回観ていたのだ。と、そのドラマが収録されたDVDセットを1本だけ持っていた黒澤さんは、それを菅谷さんにダビングさせてオレにくれたのである。その上で、黒澤さんは「プロハンター」を製作していた当時の話(20年以上前)を色々聞かせてくれ、オレは目を輝かせながらその話に聞き入っていたのだ。

 もう1つの理由は、オレが20年ぐらい前に所属していた会社について。このことをハッキリ書くのは初めてのことだが、オレがまだ物書きになる前、半年間だけあるライター集団に在籍していたことがあるのだが、その会社の中心的なメンバーの1人が映画「蘇える金狼」の脚本を書いた永原秀一という人だった。当時オレは、その会社の電話番もしていたが、黒澤さんに頼まれて「野獣死すべし」「友よ、静かに瞑れ」「探偵物語」などのたくさんの脚本を書いていた丸山昇一さんや、映画監督の村山透さん、崔洋一さんからも時々連絡が入り、オレは少しドキドキしながら、その電話を永原さんなどに取り次いでいた。
 が、蓋を開けてみると、この永原さんを含めた会社の中心的人物らは基本的には真っ昼間から酒を飲んでいるだけで、若い奴らに色々仕事をやらせて自分たちは上手く儲けようとしてた感があったので、当時は今より10倍ぐらい生意気だったオレは、最後にそんな永原さんたちを怒鳴りつけて、その会社を辞めたのである。今考えてみると、あの時にホントは永原さん自身が最も黒澤さんから仕事が貰いたかったのだ。が、それが思い通りにはいかず、それでお酒に溺れていったのだと思う。で、その時の話を思い切って黒澤さんにしたところ、「ああ、あの永原とかは、みんな酒の飲み過ぎで死んじゃいましたよ」という答えが返ってきた。不思議な気分だった。あれから20年以上経って、今度は黒澤さんと自分が、こうして直接繋がっているのである。オレは黒澤さんに会う度に、あの時には誰々さんからの電話をよく取り次ぎましたといった話をし、そうすると黒澤さんも懐かしそうな表情で、その人のことを丁寧に教えてくれたのだ。

 で、オレと黒澤さんの会話が弾んだ最後の理由が、八王子市にある「ふたばや」といううどん屋だった。そのうどん屋については、このコラムでも散々書いてきたが、驚いたことに、その「ふたばや」と黒澤さんの実家が僅か300メートルしか離れていなかったのである。にもかかわらず黒澤さんは「ふたばや」を知らなかったのだ。もうオレとしたら、それは大事件で、オレは「ふたばや」のうどんがいかに旨いかということを菅谷さんと共に黒澤さんにアピールした。で、もちろん、大のうどん好きの黒澤さんも「ふたばや」のうどんに興味を持ったようだが、黒澤さんはいつも自分の車を運転して朝8時には八王子の自宅を出て銀座に向かうのである。よって、黒澤さんの家がいかに「ふたばや」に近かろうと、「ふたばや」は平日の昼11時~2時までの3時間しか営業してないため、寄ることが出来ないのである。
 身も心も「ふたばや」のとりこになっているオレと菅谷さんは、そのことにいつも如何ともし難いイラつきを感じていたが、そうこうしてるうちに黒澤さんが「先週の土曜日にそのうどん屋に行ってみたんだけど、どこだかわからないんですよねぇ~」と言ってきて、オレは黒澤さんの家から「ふたばや」までの超詳しい地図を書いて渡した。そして、それでもわからなかったら自分の家に電話して下さい。15分で飛んで行きますので!という釘まで刺した。
 数ヶ月後、東映に行く用事があり、それが済んだ後に「セントラル・アーツ」の事務所に顔を出すと、黒澤さんがいて「ああ、この前、遂にふたばやに行きましたよ」と言う。で、「ええっ、で、どっ……どうでしたぁ!?」と訊いたところ、その土曜日は店の外にも何十メートルという行列が出来ていたんで帰ってきちゃったとのこと。うぐぅわあああああ~~~っ!!
 で、さらに数ヵ月後。「ふたばや」のうどんには、超常連客に対してだけテイクアウトがあるらしいという情報を聞きつけたオレは、それを菅谷さんに話すと「じゃあ、来週にでもソレを買って黒澤さんのところに持っていきましょう!」という流れになったが、その直後に黒澤さんは脳梗塞を患って摂食嚥下障害になってしまい、早い話がうどんを飲み込めなくなってしまったのである。おい……………。

 それから約1年後。黒澤さんは肺炎で亡くなった。黒澤さんの葬儀には、松田優作の大ファンで、「ズタボロ」にもエキストラで出演してくれた後輩のシンヤくんを誘って参列することにした。青山墓地の中にある青山葬儀所。黒澤さんの家族と東映の合同告別式はソコで開かれることになった。
 会場に着くと、オレは東映側の前から3列目の席に案内され、1列目を見ると東映の社長、脚本家の丸山昇一さん、「ワルボロ」にも出演してくれた仲村トオルくん、同じく「ワルボロ」で初主演を務めてくれた、松田優作さん次男の松田翔太くんらが座っていた。
 最初に東映側のあいさつをしたのは、黒澤さんとはホントに長い付き合いだった丸山昇一さんだった。丸山さんは最初の方は淡々と話していたが、後半になると泣き崩れるといった感じで、人間というのはホントに自分にとって必要な人物を失うとこうなるんだな、という見本のようなあいさつだった。
 続いて挨拶に立ったのは仲村トオルくんだった。彼は映画「ビー・バップ・ハイスクール」のオーディションで黒澤さんに直接選ばれた時からの仲らしく、最初から最後まで泣き続けながらもシッカリとした言葉を喋っていた。その話の中で、黒澤さんが亡くなる数ヶ月前に2人で喋っていたら、まず俺の具合が少し良くなったら、うどんを食べに行こうやと言われたらしい。オレは、それを聞いて一気にグッと来た。そう、そのうどんというのは、まず間違いなく「ふたばや」のうどんで、黒澤さんは自身の具合が良くなったら、オレが勧めまくった、あの「ふたばや」の肉入りタヌキうどんを食べようと思っていたのだ……。
 何とか泣くのを堪えて休憩時間にトイレに行くと、2つある小便器の前に人が並んでおり、オレの真ん前に並んでいたのがナント、あの藤竜也さんだった。そして、オレと藤さんは、ほぼ同時に左右の便器の前で小便をしたのであった。


 黒澤さん、最後の最後まで素敵なプレゼントをありがとうございました。……ゆっくり休んで下さい。



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1.大の仲良しだった松田優作さんと。

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2.自分の子供のように面倒を見た仲村トオルさんと。

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3.基本的には優しい人だったが、こと仕事には非常に厳しい面もあった。

(写真はすべて黒澤満氏の葬儀用パンフレットから抜粋)




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  2019/01/15   ガイドワークス 管理者

Vol.77 ボキのプロ野球2018シーズンのまとめ


 はい、今回は思いっきし野球のことなので、興味の無い人はこの時点で読み飛ばしてくれて結構。

 2018シーズン。オレが応援している埼玉西武ライオンズは、10年振りにパ・リーグで優勝した。が、それはファンを含めても人々の印象にはあまり残っていない。何故なら優勝決定後、セ・リーグのチームと日本一をかけて対決するクライマックスシリーズ(以下、CS)で、ペナントレースで2位だった福岡ソフトバンクホークスに破れ、結局そのソフトバンクがセ・リーグで日本シリーズまで順当に勝ち上がって来た広島東洋カープを破って、日本一強いプロ野球球団になってしまったからだ。
 プロ野球ファンの中の一部の者たちは「ペナントレースで優勝したチームがCSで破れるなんて興醒めしちゃうよ!」なんて言う。そう、オレだって10年振りにようやく優勝した西武が結局日本シリーズには出場出来ず、2位のソフトバンクが日本一になったんだから当然興醒めである。記録上には2018年パ・リーグで優勝したチームは埼玉西武ライオンズだが、日本一になったチームは福岡ソフトバンクホークスとして残るのだ。西武ファンとしては、やってられない心境だ。
 でも、でもね。オレはあえて言わせてもらえれば、それはしょうがないことだと思うのだ。ペナントレースが終わった直後、スグに各リーグの上位3チームが戦うというCSが始まるからこそ、ペナントレースが終盤に差し掛かっても最悪でも3位を目指して戦うという緊張感が続くのだ。つまり、消化試合が激減するのである。これはプロ野球という巨大な団体を存続していくには、相当重要なことなのだ。
 また、ペナントレースで優勝したチームがホントに胸を張りたければ、それはCSを勝ち上がり、日本シリーズでも勝って、やっと真のチャンピオンになるのではないかと思う。

 ちなみに2018シーズン、確かに超強力打線の西武は強く、1度も首位を他球団に明け渡さなかったが、それは前年の覇者ソフトバンクに開幕前から沢山の故障者が出て、同チームが本来の調子で戦えなかったからである。ところがシーズン終盤に入り、全部とはいかないがソフトバンクの選手が次々と復帰してきた時点で、これを認めるのは西武ファンとしては悔しいが、明らかにソフトバンクの方が西武より力が上になったのである。
 そう、西武ライオンズは超強力打線で勝ち続けていたが、、打力というのは水物で、どんなに強力な打線でもダメな時は全く点が取れないのだ。で、そんな時に結局頼りになるのが投手&守備力で、その2つは打力よりも確実に普段の力がアテになるのである。だから1980~1990年代に日本一になり続けていた西武ライオンズは、実は投手&守備力に長けたチームだったのだ。
 でもなぁ~、投手&守備力に長けたそつの無いチームって、観戦してる方とすれば意外とツマんないんだよね。10年前の中日ドラゴンズのように。
 はい。で、このへんでまとめると、またメジャーリーグの真似をしたことなるけど、たとえ同じシーズンでペナントレース優勝チームと日本シリーズ優勝チームが違っても、CSの導入はいいことだと思う。もう一度言うが、あるチームを応援してて胸を張りたけりゃ、そのチームがペナントで優勝して、かつ、日本シリーズでも勝って日本一になればいいのだ。それがホントの意味でのチャンピオンチームなのだ。

 あ、メジャーリーグの真似と言えば、去年から日本でも導入された判定のリクエスト制度。これは審判がジャッジした結果に一方の監督が不満がある時は、直接リクエストしてビデオを見て、もう1度ジャッジしてもらうという制度なんだけどさ。基本的にはオレもこの制度には賛成なんだけど、これによって明らかになったことが1つあってね。それは「日本の審判は世界一ミスの少ない審判だ」っていう意見が巷にあったけど、それってデタラメだってこと。だって頻繁に間違ってるんだもん、特に一塁のセーフかアウトかの判定が。あれじゃあアメリカの審判と変わらないって。

 おっと、もう1つ書くことがあった。それは、次のシーズンが始まる前にまたしても西武は1番のエースとクリーンナップを打つバッターが他のチームに移籍しちゃったってこと。ま、ピッチャーの菊池雄星は、2年前からメジャーに挑戦したいって言ってたからまだわかるけど、キャプテンを務めていた浅村が2018シーズンのCSでソフトバンクに負けた時、辻監督の涙につられるようにして1人ベンチで涙してたから、てっきり西武に残ってくれると思ったら、アッサリと楽天に移籍しやがってさ。
 てか、オレが西武戦の観戦を始めた10年前から考えてみると、西武ほど重要になってきた選手がポンポンと他球団に移っちゃうチームも無くてね。だって、ピッチャーで言えば涌井、野上、岸、牧田、菊池だよ。2年に1人のペースでエース級がチームから去ってっちゃうんだぜっ。野手にしたって細川、中島、片岡。そして、今年は浅村と銀仁朗だよ。言ってみれば、毎年1人はチームの中にいる選手が神隠しにあったようにいなくなっちゃうんだよ。これだけ所属選手に嫌われてるって、チームの根源に何か原因があんのかな?

 ま、いいや。つーことで、2019シーズンもボキは埼玉西武ライオンズを応援します。はい、野球の話終了!


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  2018/12/15   ガイドワークス 管理者

Vol.76 You Are Hero!


 所沢にある西武メットライフドーム、そこで埼玉西武ライオンズの試合を見た2回に1回は、そこから約16キロ離れた埼玉県某市にある串カツ屋「まるや商店」に寄ることにしている。
 その店の店主は塚ポンという後輩で、元はと言えばオレの本の読者だったが、まぁ、前にも書いたがイロイロあって友達になり、そして今から3年前に塚ポンが自分の串カツ屋をオープンさせてからというもの、ちょくちょく彼の店に寄らせてもらっているという次第である。
 現在40代半ばの塚ポンは、背も高くはなく、オレみたいないわゆるデブでもあるのだが、顔は割とハンサムで、性格も明るく温厚。よって、ただでさえ料理が旨いので店は繁盛しているのだが、その上、彼と話したいという中年~年配客が続々と増え、カウンターとテーブルで35~36人は入れる店内は、いつ行っても満席なのである。

 ある日、カウンターに座ってウーロン茶を飲みながら串カツを食べていると、塚ポンがテーブル席に座っている30代半ばぐらいの男を呼び、オレに紹介してきた。
「あの、板谷さん。コイツ、ウチの常連客なんですけど、サバゲー(サバイバルゲーム)が好きみたいで、今度板谷さんなんかがサバゲーをやる時に、コイツも誘ってやってもらえませんか?」
 塚ポンのその言葉に合わせるようにして頭を下げてくる男。藤子不二雄の漫画に登場するラーメンの小池さんを少しだけ利口にしたような顔だったが、まぁ、問題がある奴にも見えなかったから、オレはその場で次のサバゲー会に奴を誘った。と、1人でサバゲー場に現れた彼は、ドイツの兵隊のような軍服に着替えた。と、同時に奴のアダ名が「ドイツ兵」になり、その後もドイツ兵は2回、3回とオレたちのサバゲーに参加してきたのである。
 また、ドイツ兵はキャームが時々開催する飲み会にも参加するようになり、急速にオレたちと親密とまではいかないが、まぁ、それなりに付き合いのある知り合いとなった。そして、奴をオレに紹介した塚ポンは、店にドイツ兵が来ると嬉しそうにつっ込みを入れるようになり、その様を見てオレもゲラゲラと笑うようになったのである。

 ところが、それから半年も経たないうち、まるや商店に顔を出したオレに塚ポンが珍しく少し曇った顔で声を掛けてきた。
「板谷さん、あのドイツ野郎は出入り禁止にしましたから」
「えっ……な、何で!?」
 塚ポンの話では、ドイツ兵はとにかく女癖が悪いらしく、まるや商店に飲みに来る若い女の客に、次々と声を掛けているだけではなく、まるや商店の女のアルバイトを陰で口説こうとしたり、とにかくそういうことが続いたので塚ポンが注意をしたが、何度言っても「事実無根なことを言わないでくださいよ」とスッとぼけるらしい。
「しかも、あのドイツ野郎は何度聞いても自分の職業を言わないんですよっ。まったく大した職業についているわけでもないのに、とにかく下らないことを隠そうとしやがるんですよっ、あの野郎は!」
 つーことで、その日以来オレはドイツ兵とは会わなくなったが、それにしても普段は温厚な塚ポンがあれだけムキになってドイツ兵を店から排除したことを考えると、もしかして働いていたバイトの女の子の中に塚ポンが割と気に入ってる娘がいて、ドイツ兵がその娘に手を出そうとしたのがとにかく許せなかったのかなぁ~なんて思った。そして、ほんの少しだけだけど、まるや商店の近所に住んでいるというのに、ココに入ってこられないドイツ兵のことが可哀想にも思えた。

 それから1年以上が経った、つい先日のこと。その晩、寝ようとしたらケータイのグループLINEに塚ポンからの書き込みが入っていた。
『突然ですが大ニュース! 「ドイツ兵」が逮捕されました!! 売春でw しかもヤツの職業は某公務員でしたwww 良かった~出禁にしといて(・∀・)』
 開いた口が塞がらなかった……。さらに、そのグループLINEに入っている仲間がドイツ兵のことが書かれているネットの記事を発見し、LINE上に載せてくれたそれを読むと次のようなことがわかった。
『警視庁によると、ドイツ兵(実名は伏せるね)は今年18歳未満の少女に現金を渡して買春した容疑が持たれている。調べに対し、ドイツ兵は「事実無根なことを言わないでください」などと容疑を否認しているという』
 そう、塚ポンにツメられた時と同じ言い訳をしていたのである……。
 それにしてもドイツ兵のロリコンぶりっていうのは相当なもんだったのだ。何たって自身が公務員だったってのが、まず凄い。そりゃ塚ポンに職業を聞かれても答えられないわ。

 で、次にオレの心に浮かんできたのは、自分の未熟さに対する羞恥心だった。そのドイツ兵の逮捕を知らせる塚ポンのLINEには、去年の暮れに塚ポンがドイツ兵と交わしたLINEでのやり取りがコピーされていた。

塚ポン「以前ウチを通して知り合った元バイトの女の子は未成年だからな。連れ回してんじゃねえよ。店を辞めてると言えど、彼女の母親や関係先とウチは繋がってるんだからな。ましてや接点はウチなんだからな。出禁野郎が俺に肩身の狭い思いをさせてんじゃねえよ。少しは考えろよ。大バカ野郎が」
ドイツ兵「?どちらさんですか?? 誰かと間違えてませんか? 突然なんなんですか!?」

 そう、塚ポンはドイツ兵の異常さ、タチの悪さに途中から気づき、自分の店に来る客やバイトの女の子たちを本気で守っていたのだ。なのにオレときたら、塚ポンがあんなにムキになるのはドイツ兵が自分の気に入ってるバイトの女の子に手を出そうとしていたからではないか?という、まるで高校生のような視点で見ていたのだ。


 失格!! オレ、今年で54歳にもなったのに全然失格!! そして、塚ポン。キミは埼玉県の1軒の串カツ屋を経営してる上では、完全にヒーローだ!!
 おめでとう!(←何に対して?)


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  2018/11/15   ガイドワークス 管理者

Vol.75 うそつき太郎の生まれ方


 虚言癖という病気がある。
 そう、人と接する時、どうしても嘘をついてしまうという性質だ。
 オレが時々顔を出す飲み屋の店員に、明らかにこの病気にかかっている奴がいた。オレに直接話し掛けてくることはほとんどなかったので、その虚言を受けることは無かったが、その店の店長の話を聞くと、その40代前半ぐらいの店員はスタッフ間において、とんでもない事ばっかり言っているというのである。
「来週、ボクが発注したフェラーリが外国から届くんです」
「実は自分の親父は有名なヤクザの組長で、今までに10人以上人を殺してるんです」
「昔、猛烈に忙しい時があって、その頃は東京~福岡間を車で200キロぐらい出して往復してましたよ」
「今も調子が良けりゃあ、日本酒の一升瓶を7~8本空にすることだって出来ますよ」
 いや、普通の酒場のアルバイト店員をやっていて、これだけの嘘はまずつけない。そう、2秒でばれてしまい、以後は何を言っても「はい、また○○くんの嘘が始まりましたよぉ~」というツッコみが入るはずである。ところが、この酒場の店員たちは店主も含めて皆いい奴らでね。毎回、何を言ってきても「へぇ~、そりゃ凄い」とか「ハンパないですねぇ~」とか返すだけで、決して「じゃあ、そのフェラーリを見せてくれよ」とか「ちなみに、○○さんの親父さんって何組なの?」とツッコむ奴はいなかったのである。

 てか、オレも昔、友達のキャームがやってたブティックの前にテレビゲーム屋があって、やっぱしソコの店長が時々虚言癖めいたことを口にすると聞いたことがあった。キャームによると、その店長の彼女の友達に歌手の浜崎あゆみがいて、ある日、青山の方にあるレストランの裏口から、その店長と彼女と浜崎あゆみの3人が入れてもらって、食事をしてたところ、その店長の彼女がトイレに立った。すると、浜崎あゆみが自分のケータイ番号を教えてきて「今度2人でどっかいきましょうよ❤」と言ってきたという。
 ところが、キャームが「その電話番号を見せてくれよ」と店長に言うと「いや、実は割り箸が入ってる紙の袋に書いてもらったんですけど、それをドコかに失くしちゃって……」と返してきたというのだ。また、ある時は「宝クジに当たっちゃいましたよ!」と言ってきたので、「スゲー!! じゃあ、ヨーロッパ旅行にでも行こうぜっ」と頼んだところ、「いや、それが当たったと言っても2等なんですよ」という答えが返ってきたらしいのだ。
 つまり、そのゲーム屋の店長は確かに虚言癖を持っているのだが、どこか小心者で、ちゃんとその嘘がバレないような逃げ道を作っているのである。で、それに比べると飲み屋の虚言癖の方は、ま、全然追い詰められないこともあるのだろうが、それにしても言いたい放題というか、完全に性格の一端が崩壊していると言ってもいい奴だった。てか、そこまでの虚言癖になったのは一体何が原因なのか?と思っていたら、飲み屋の店長がこんな話をしてくれたのである。

「元々、奴は車のディーラーで営業をやってたらしくて、入社2年目からみるみる成績が上がっていったみたいなんですよ。でも、一つ所に何年もいるのは性に合わなかったらしく、いくつものディーラーでトップの成績を上げてきたらしいんですけど、それでも飽きちゃって、今はこうしてウチの店でバイトしてるみたいなんですけどね」
 そう言って、客にカクテルを運んでいる、その店員の背中を視線で追う飲み屋の店長。気がつくと、オレもその店員を眺めていた。そして、ハッ!とある事がわかったのである。
 そう、つまり、その店員は最初のディーラーで働き始めてから数カ月後に、驚くこと、意外なことを言うと客の気を強く引くことが出来、それがそのまま営業成績のアップにも繋がったのだ。が、普通の1人の人間には、そうそうビックリすることや意外なことは起こるもんではない。が、客は自分が話す“予想外”を待っている。で、どうしたかというと、それで嘘をつき始めたのである。が、あまりにも嘘が多いと人間は身動きがとれなくなる。んで、別のディーラーに移り、そこでまた嘘をしこたまついて、また別のディーラーに職場を変える。その繰り返し。が、それにも限界があるので、こうして飲食の世界へと逃げ込んできたに違いない。

 ま、でも、オレはその店員には嘘をつかれたことがないので、店に行って飲み物を運んできてくれると「お、ありがとー」と極普通に対応していたのだが、実はオレもその店員による被害を半年以上前から受けていたのである。実はその前の年、その飲み屋の店長に「そういえば板谷さんって、サザンオールスターズのコンサートとか行かないんですか?」と訊かれたことがある。しかも、その質問にまだ答えてないうちに、その店長から次のような言葉が続いたのだ。
「いや、ボクの知り合いに、ソイツの父親がサザンの桑田圭佑と大学時代のクラスメイトだって奴がいまして、ソイツに言えば親父さんに頼んで大抵の席は取ってもらえるらしいんですよね。だから、もし板谷さんもサザンのコンサートに行きたいと思ったら是非ボクに頼んでくださいよ」

 で、そこまで言われれば、オレも仲間内でサザンオールスターズが好きな奴を探したところ、1人だけメタメタ桑田圭佑が好きな女性がいたんで、彼女に「サザンのコンサートのチケットを取ってあげようか?」と言ったら「ええっ、サザンのコンサートのチケットってプラチナだよっ。ホントに取れるんなら、いつでもいいから取ってよ!」と返された。そして、そのことを飲み屋の店長に伝えたのだが、気づけばそれから既に8カ月近く経っているのである。もちろん、桑田好きの女性からも何回かは「ねぇ、サザンのコンサートのチケットって、まだですかぁ?」とメールで急かされていた。よって、次にその飲み屋に行った時にサザンのコンサートのことを店長に尋ねてみたところ、
「あ……その話は、すっ……すんません、忘れてください」
「はぁ?」
「いや、実は自分の父親がサザンの桑田とクラスメイトって言った知り合いってのが、例の虚言癖の男でして、奴が去年この店にバイトとして入ってきた時には、まだそんなに嘘をついてなかったんで、桑田の話はてっきりホントだと思ってたんですけど、今考えると99.9%嘘ですね」
「おい、マジかよ……」
 オレは、しばし脱力した後で、その飲み屋の店内を見回した。そう、この際だから、その虚言癖野郎を唸り飛ばしてやろうと思ったのだ。が、また、そういう時に限って、ソイツがバイトに出てきてないのである。さらに、その次に同飲み屋に行ったところ、その店の店長が笑いながら次のような言葉を掛けてきた。
「板谷さん、あのうそつき太郎はバイト辞めちゃいましたよ」


 虚言癖って無責任に聞いてる分には面白いけど、実際に自分に飛んでくると腹立つね……。


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  2018/10/15   ガイドワークス 管理者

Vol.74 後悔山脈


 オレはツイッターとかにも書きまくっているが、オレんちから8キロほど離れた八王子市にある「ふたばや」の肉入りタヌキうどんが死ぬほど好きだ。
 いや、今でも日本一旨いのは香川県にあるいくつかの店の讃岐うどんだとは思っているが、それでも「ふたばや」のうどんに対する愛が15年以上も止まらない。元々この店のうどんは、埼玉南部~東京西部にかけて伝わっている“武蔵野うどん”で、オレも今から10年ぐらい前は、その各所にある武蔵野うどん店を食べ歩いていたが、やっぱり讃岐うどんと比べると、その旨さはやや落ちるのだ。
 ところが、この「ふたばや」のうどんだけは違うのだ。店舗は普通のモロ民家で、暖簾を掛けなけりゃホントに店だとわかんないし、ざるうどんがメインメニューの麺はゴツゴツした感じで1本1本太さが違う、一見すると店の外観もうどんの質も雑そうな感じなのだ。が、その麺が甘辛くて濃いカツオ出汁が効いたツユと絡まると、美味しいのは勿論のこと、舌の上を一定してない麺が通っていくので決して飽きることがないのだ。

 オレは、このふたばやがお気に入りになってから、1年半はさるうどん、もしくは時々カレーうどんを注文していた。もちろん、ざるうどんがメインメニューなので、他の客たちも注文するのは殆どがざるうどんだった。その中で、いつ行っても大抵は3人組でいる貧乏臭い常連(2人ジジイ、1人ババア)がいて、その人たちだけは必ず揚げ玉がゴッソリとのった温かいタヌキうどんを食べていたのである。
 最初は、その3人組を横目で見ながら正直、オレは彼らをズーッとバカにしていた。
(何でコイツらはざるうどんを食べないのか? タヌキうどんだったら何もこんな混み合う店に来なくても、そのへんの適当に空いてるうどん屋で食えばいいのに……)
 で、ある寒い日のこと。ふたばやに入ったら、相変わらず例の3人組がタヌキうどんを食べていて、とにかく寒かったので、ついオレも魔が差してタヌキうどんを頼んでしまったのだ。1口……2口……3口目でオレは自分が今まで、とんでもない間違いを犯し続けていたことを思い知ったのだ。この店の固めの麺が温かいツユに絆されるようにして、ハンパなくエエ状態になっていたのである。また、それに揚げ玉の香ばしさが相俟って、とんでもない奥行きのある世界を作っていた。
 それからというもの、オレはタヌキうどんを食べ続け、それを繰り返しているうちに、最初っから豚肉を入れた方がツユのコクが絶妙になり、さらに6~7口目を食べ終わった時点で、テーブルの上に用意されている擦り胡麻をスープの中に大さじ3杯くらいブチ込むと、さらに圧倒的なコクが加わり、もうそこからのツユはその昔、ヨーロッパの国々がソレを自国のものにしたいと戦争を始めたワインのようにハンパなく極上の味になっているのである。

 ところがそんな矢先、ショックな出来事が起こった。ふたばやの営業時間は、昼は午前11時~午後2時、夜は午後5時~午後8時までで、休みは土曜の夜と日曜だった。が、その営業時間が昼のみの1日3時間だけになってしまったのである。
 理由は、この店でズーッと1人で麺を打ち続けている70代のオジさんの腱鞘炎が悪化し、昼の分しか麺を打てなくなってしまったのだ。……ショックだった。オレが店に入った時、オジさんはいつも入り口脇のガラス貼りの小さなスペースの中で麺を打ちながらもオレにニコニコしながら頭を下げてきて、また帰る時も目が合うと、何度も何度もペコペコと頭を下げてきた。そのオジさんが客のために腱鞘炎と毎日闘いながらうどんを打っていたというのに、自分は何の助けも出来ないのだ。そして、その後もオレは、仕方なく昼の部に淡々と通っていたのである。

 ふたばやに通い始めて丸10年が経った頃から、オレが自身のツイッターに時々書いているふたばやの記事を読み、自分もその店につれてってくれないかという友達が何人も出てきた。その中でも特にハマったのは、まずは千葉の木更津に住む6つ年下のクマという後輩で、ふたばやの肉入りタヌキうどん(麺3玉入り)を食べた途端、ホントに目の色が変わり、それからというもの月1~2回のペースで、ふたばやのうどんを食べるためだけに東京湾アクアラインを使って八王子まで約60キロを通ってくるようになった。
 続いて大ハマリしたのは、昔から八王子に住んでる10コ年下のシンヤくんという元ヤンで、彼もクマと同じく肉入りタヌキうどん(麺2.5玉入り)を食べるとそのまま唸り出し、以後、家族を連れてふたばやに頻繁に通うようになった。
「いやあ~、板谷さん。自分、もう40年以上も八王子に住んでいるのに、こんなに旨いうどん屋を立川に住んでる板谷さんに今頃教えてもらうなんて、マジで恥ずかしいっス」
 シンヤくんは事あるごとにそんなセリフを吐き、ナント、長女が高校に受かった直後にシンヤくん夫妻に当の長女とオレの4人でふたばやに直行してお祝いしたというエピソードもある。

 そして、大ハマリした3人目は東映でプロデューサーをやってる菅谷さんという、オレの15コ年下の男で、ある日、彼が昼に遊びに来たので八王子のふたばやといううどん屋に行きましょうと誘うと、「えーーーっ、うどんですかぁ?」と明らかに浮かない顔になった。で、それでも半ば強引に連れていき、肉入りタヌキうどん(麺3玉入り)を数口食べた瞬間、彼の顔色が明らかに変わったのである。「どうでした、ふたばやのうどん?」。店を出た後で菅谷さんにそんな質問をしてみたが、彼は何も答えなかった。そして、その日の夕刻。今度は高田馬場にある「成蔵」という日本で1~2番目に旨いトンカツ屋に連れていき、そこの特上ロースカツを食べさせた後で再び「どうでしたか、成蔵のトンカツ?」と尋ねたところ、次のような答えが返ってきたのである。
「いや、確かにココのトンカツは、俺が今まで食べたトンカツの中でも1番旨いとは思うんですけど、もう昼間食べたうどんが旨過ぎて、トンカツの味が今、宙に浮いたままなんですよ」
 つーことで以後、菅谷さんもウチに顔を出す度に、オレと一緒にふたばやに直行するようになってしまったのである。

 で、ふたばやの味に雷を落とされたその3人に、あの店には跡継ぎがおらず、このままだとあと数年もしないうちに閉店になってしまうと告げると、ナント、クマと菅谷さんは真剣に今の会社を辞めることを考え始めた。また、ある日、シンヤくんが珍しくオレの前でもピリピリしてたので「何かあったの?」と尋ねてみると、あろうことか、解体屋をやっているシンヤくんの後輩が、あのふたばやを営業している一家と親戚の関係にあたるらしく、先日「ウチの跡を継いでくれないかなぁ?」と例のオジさんに聞かれたが、思いっきり断ってしまったらしいのだ。
 実を言うとオレ自身も今、ちょっと手こずっている小説さえ仕上げてしまえば、ふたばやのオジさんに頭を下げて麺の打ち方や出汁の取り方を教えてもらおうという気はあるのだが、クマや菅谷さん同様、最後の最後でその決心がイマイチつかないのである。
 ああ、あの甘辛いパンチの効いたツユにゴツゴツと絡んでくる不器用な麺。そして、それをサポートする揚げ玉の香ばしさと擦り胡麻の堪らないコク……。


 あのうどんが食べられなくなったら………ああ、どうするんだ…………どうするんだよおおおっ!?











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  2018/09/15   ガイドワークス 管理者

Vol.73 狼少年 アキト


 以前このコラムでも書いたが、オレには埼玉県で串カツ屋をやっている塚ポンという後輩がいて、彼にアキトという今年から中学校に上がった長男がいる。
 このアキトというのが実に不思議な少年で、5才の時まで聴覚が殆ど働いていなかったのだ。当然その親の塚ポン夫婦は、幼いアキトを色々な病院に連れていったらしいが、どの病院でもハッキリとした原因はわからなかった。で、塚ポンは考えた挙げ句、自分が食べ物を扱う店を出し、将来その店をアキトに継がせれば、例え耳が不自由でも何とかアキトは食っていけるのでは、と思い、それまで勤めていた会社を辞め、串カツのチェーン店で修行を始めることにしたのである。
 ところが、塚ポンがその串カツ屋で働き始めてから、まだ数ヵ月しか経たないうちにナント、突然アキトの聴覚が治ったというのだ。で、塚ポン夫婦は喜んだが、塚ポンは今さら元の会社に戻るわけにもいかず、結局はその串カツ屋で5~6年働いてから独立し、自分の串カツ屋を埼玉県にオープン。と、その串カツ屋は最初からバカ当たりし、今年で4年目を迎えるが、相変わらずその地域の超優良店であり続けているのである。
 よくよく考えてみると、そうなったのも元はといえばアキトの聴覚のお蔭なのだ。で、アキトはすくすくと青少年になっていってるのかというと、実はそうは問屋が卸してくれなかったのだ。
 小学校3年ぐらいからプクプク太り始めたアキト。まあ、この子は結構愛嬌もあり、それはそれで可愛かったのだが、小学4年で体重が50キロ、5年で60キロ、6年で70キロになり、遂には中学に上がった頃には80キロになってしまったのだ。そう、完璧なデブのエリートである。

 そんなある日、オレが西武ドームでライオンズ戦を観戦した後、塚ポンの串カツ屋に寄ると、珍しく塚ポンがピリピリしながら串カツを揚げていたので「何かあったの?」と尋ねると次のような答えが返ってきた。
「いや、アキトの奴が小学校の同級生たちに“自分は東京に住んでた時に人を殺したことがある”って言ってたらしくって、それを同級生たちが信じちゃって、学校でも大問題になってるらしいんですよ。で、俺は明日の朝、アキトの担任に呼び出されてるんですわ」
 それを聞いた時、オレは今年1番激しく笑った。東京の住んでた時に人を殺したことがあるって、まぁ塚ポンはココに店を出す前は中野区に住んでいたので、アキトも確かに以前は東京に住んでいたのだが、ってことは小学生の頃に人を殺したことがある、ってことになる。てか、どうしてアキトはそんなウソをついたのだろうか?

 それから約2週間後。その日、塚ポンの串カツ屋は定休日だったので、2人で西武ドームに向かう前に上野のラーメン屋に行こうということで、まずは午前中の9時頃に塚ポンのアパートに赴いたのだが、塚ポンがオレの顔を見るなり「すいません、ちょっと30分くらい付き合ってもらえませんか?」と言う。で、「いいけど、ドコに?」と尋ねると、さっきアキトの中学の先生から電話があり、今朝アキトが学校の昇降口のところで倒れていたので救急車を呼んで病院に運んだという。それで、こりゃー大事ということで、塚ポンの車に塚ポンの嫁と長女も乗せて指定の病院に向かったのだが、こんな時だというのに車内に全く緊張感が無いのである。で、オレが改めて「アキト、大丈夫かなぁ?」という言葉を吐くと、塚ポンの嫁から次のような言葉が返ってきた。
「う~~ん、嘘で倒れた可能性もあるんですよねぇ」
「嘘で倒れたぁ!?」
「とにかく、あの子は自分の立場が悪くなるとスグに嘘をつくんですよ。要は、学校に遅れそうになったから、ワザと昇降口で倒れた可能性もあるんですよ」
「いやいや、いくら何でもそれで救急車にまで乗らないでしょ!?」
 すると、今度は嫁とバトンタッチするかのように塚ポンが次のような話をしてきたのである。
「この前、中学の父兄参観があって嫁と行ってきたんスよ。したら、アキトの教室の壁に各生徒の自己紹介の紙が貼られてたんスけど、アキトのを読んでみたら“自分、キレっと何すっかわかんねえけど、最近は丸くなってきたんでヨロシク!”なんて書いてありやがるんスよ。で、それだけでもコッチは恥ずかしくて真っ赤なのに、趣味の欄に“相撲を取ること”なんて書いてあるんだけど、奴はただ単に太ってるだけで、今まで一度も相撲なんて取ったことないんスよ。……まぁ、あの日は夫婦揃って黙って学校から帰ってきましたよ」
「グハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
「で、その2カ月後ですよ。例の、自分は東京に住んでた時に人を殺したことがある、ってアキトが学校で言って、ボクがアキトの担任に呼び出されたのは。ま、とにかく奴はどんどんハンパない狼少年になってるんですよね」
「ギャハハハハハハハハハッ!! く、苦し……ギャハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
 止まらないオレの笑い。で、そうこうしてるうちに車は病院に着き、いざアキトが運び込まれた部屋に駆けつけてみると、どうやら奴は今回はホントに脇腹が猛烈に痛くなって倒れたらしかったが、アキトへの質問表を見た途端に、あろうことかププッ!!と吹き出す塚ポン。
「ど、どうしたんだよ?」
「いや、アキトの奴、今朝家では何ともなかったのに、朝3回吐いたとか答えてるんスよ」
「がはははっ、おい(笑)」

 で、とりあえず命にかかわる病気でもない様子だったので、オレと塚ポンは10分ほどすると上野のラーメン屋に向かったのだが、ラーメンを食べてる最中に塚ポンの元に奴の嫁から電話が掛かってきた。それによると、どうやらアキトは熱中症や盲腸炎ではなさそうだったが、中学1年にして痛風になりそうな数値が検査で出たらしく、おまけに脂肪肝の量もハンパではなかったという。
 てか、100キロ近いデブのオレが言うのも何だとは思うが、このままでいくとアキトは中学時代で3桁の体重になることは、ほぼ確定で、そうなると、とんでもない病気になる可能性もメタメタ高くなるので、奴の体重の暴走を止めるのは今後、塚ポン家の割と本気で取り組まなくてはならない課題だと思う。で、もう1つの課題「アキトの狼少年問題」だが、これについてはオレも同じ男として何となくわかる。
 そう、つまり、アキトは“自分がいじめの対象とならないための保険”を幾重にもかけているのである。
 数年前に、この埼玉の小学校に転校してきたという環境。
 面白いように体が太くなっていく、その体質。
 妹の扱いを見てもわかるように、基本はとても優しい性格。
 そう、周りの友達がアキトをいじめの対象にする要素は腐るほどあるのだ。アキトはそれを小学校時代から感じ取り、奴なりに考えた結果、自分を必要以上に悪く見せることによって、そういう隙を隠そうと思ったのだ。

 が、アキト。このまま、そういう無茶なハッタリを続けていくと、そのうち必ずソレがばれる瞬間があり、そうなるとアッという間にいじめ地獄の中に叩き落されるぞ。そうならないためにもアキト、とりあえず何か運動をして、少しでも体を鍛えておけ。
 それでも地獄にハマった場合は、そん時はお前の父さんとオレで、そのいじめっ子たちを全滅させてやる。ま、でも、それはそれで手間のかかることになるので、とりあえず、もう無茶なウソをつくのは止めろ。それから中学時代に体重が3桁になったら、一生彼女は出来ないと思えっ。実はこれが1番辛いからな。


 わかったな、アキト(笑)








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  2018/08/15   ガイドワークス 管理者

Vol.72 さよなら最後のデブ兄弟


 ウチの近所には、オレを含めて3人のデブが住んでいた。
 その当時、オレたち3人はブー、フー、ウーと陰で呼ばれていて、板谷家の中では俺が「ブー」で、オレより3つ上の隣のデブが「フー」、そして最も年下だが体重が130キロもあった引きこもり型のデブが「ウー」と決められていた。ところが今から13年前、ウーが心筋梗塞で急死してしまったのである。
 で、残ったのはオレと隣家のフーだったが、このフーという男も一応は先輩だがどうしようもない奴で、ウーが死ぬ2年前に、たまたま近所で火事があった。んで、それを見ていたオレたち3大デブは、その火事が起こった家の息子の自動車を他の何人かと持ち上げて移動させるハメになったのだが、いきなりウーが「ボンボコヤ~ン……」という意味不明な言葉をつぶやきながら、その場からバックレ。結局、車の前部に3人、そして、後部にオレとフーがついて持ち上げることになったのだが、いっせーのせ!で持ち上げた瞬間、隣のフーがバビバビビビッ!! ピチピチピチッ……という放屁音を炸裂させながらウンコを漏らしてしまい、オレは笑いを堪えるのに必死で力が全然入らず、結局それ以降のオレたち3人の町内での評判は『あのデブたちは一家の大黒柱にならなきゃいけない年頃なのに引きこもりで、図体はデカいのにからっきし力がなく、協調性もゼロの穀潰し』ということになってしまったのである。
 ちなみに、フーは元々はドコかに勤めていたらしいのだが、その火事の3年前ぐらいに会社を辞めたらしかった。よって、それからはウー同様引きこもりになっていて、年老いた両親と同じ家に3人で暮らしていたのである。が、それから5年ほど経ってから、さすがにフーもプータローをし続けるわけにもいかなかったらしく、自分の敷地内に小さなプレハブ小屋を建てたかと思うと、そこで老人用のベッドを売る商売を始めた。が、オレはそのプレハブ小屋のカーテンが開いているところを1度も見たことがなく、要は圧倒的な準備不足で、開店とほぼ同時に潰れていたのである。

 そして、今から約9年前にフーの家に突然ビッグバンが訪れた。ある朝、まだ7時にもなっていない時刻にウチのチャイムが鳴った。ドアを開けてみると、隣のフーが小汚いジャージの上下を身に着けながら立っていた。
「えっ…………な、何?」
「ウチのお父さん、さっき死んじゃった………」
 なんて答えていいのかわからなかった。そして少しすると、当時48歳のフーが急にベソをかき始めたのである……。
 で、その後もフーの老人用のベッドを販売するプレハブ小屋のカーテンは閉まり続けたままで、それから更に5年が経った頃、今度はフーの母親が心臓病を患い始めたらしく、週に1~2度、フーが自分の車で母親のことを病院に連れていくようになった。
 隣家のことだが大変だなぁ……と思った。元々、両親に甘えまくって育ったフー。そして、自分を守ってくれていた父親が死に、今度は母親も危ないというのにフーは相変わらずのほぼ無職なのだ。多分、母親を病院に連れてくお金だって、母親の年金や預金を切り崩しているのだろう。

 そして、今から約半年前のこと。フーの家から人が住んでいるという感じが消えた。で、次にフーを見たのは約3週間前で、その時フーは見知らぬ40代くらいの男と一緒にいたのだが、とにかく驚いたのは100キロぐらいあったフーの体重が半分になっていたのである……。
「あの、土地の境の確認をして頂いて、もし問題が無かったら、この書類に署名捺印して頂きたいんですが」
 その男は、不動産関係の人間だった。オレはその書類に軽く目を通してから、その男とフーと3人で隣家との境目の確認をした。
「お、お母さん、亡くなっちゃんスか?」
 書類に捺印した後、オレんちの庭で以前とは見る影もないフーに思いきって尋ねてみた。
「ええ……半年前に………」
 母親のことを話してきたフーは、続いて自分も同じ時期に胃と肝臓を患い、今までズーっと病院に入院していたことまで話してきた。
 何てわかり易い人生なんだろうと思った。親に甘えていつまでも独立できないでいた息子、それが木が枯れるように徐々に、しかし、確実に追い詰められていく様をフーは見せてくれたのである。そして、皮肉にも最後はデブからも脱皮してしまったのだ。
 それから1週間後、フーの家が解体された。母親が死に、自分の入院費やら税金を払えなくなったフーは、残された土地を売るしかなかったのだ。


 あ~あ、遂に1人だけになっちゃったなぁ、この町内に住むデブは……。あははははははっ。






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  2018/07/15   ガイドワークス 管理者

Vol.71 遺言(後編)


 林の遺言となった蕎麦屋「ふじおか」へ行った後、オレは久々に迷っていた。
 「ふじおか」で偶然出会った、青梅市で蕎麦屋をやっているという男性。そこに行こうか行くまいか。“パプアニューギニア料理も出している”って……。ちなみに、その時にニューギニア料理ってどんなものかとザッと尋ねたら、イモやバナナの実をバナナの葉っぱで包んだようなものとの答え。オレは正直、そんなものは食べたくない。が、彼は確かに自分も蕎麦を打ってて少しオカしくなってた、と言っていたのだ。そう、林と似ているのである。

  カィ――ン!!

 「ふじおか」の駐車場で、オレがその男性に「何っていう名の蕎麦屋さんなんですか?」と尋ねた時、「パプアニューギニア料理も出してるので“ニウギニ”っていう名前なんですけどね」という答えが返ってきた次の瞬間、オレの頭の中に金属バットが硬球を真芯で捕らえたような音が響いた。その音がオレの頭の中で再び反響していた。
 今までの人生の中でも、オレは、その音を何度か聞いたことがあるが、そういう奴らとは不思議にも割と仲がよくなっているのだ。どうする……。いや、止めとくか………。
 ネットで探すと「ニウギニ」はアッという間に見つかった。ナント、この店はお寺の境内にあるという。日本の寺の中にパプアニューギニア料理の店……。ますます訳がわからない。が、そのページに電話番号が掲載されていたので思い切って電話すると、相手は「ふじおか」で1回しか会ってないのにオレのことを覚えてくれていて、少し話してるうちに1月中旬の週末に「ニウギニ」に行く約束をした。

 そして、「ふじおか」に行った2カ月半後。オレは地元の後輩を助手席に乗せ、青梅街道を進んでいた。20分もすると道は丁字路に突き当たり、カーナビに従ってソコを左折して200メートルほど進むと右手に「ニウギニ」があるという大きな寺が現れた。
「ど、どこにあるんスかねぇ、その店は?」
 駐車場で車から降り、キョロキョロしながら辺りを見回す後輩。が、時刻はまだ午後の4時過ぎだというのに、かなり暗くなっている周囲の景色。
「おっと、この階段を上がったところみたいだぜ」
 道の脇にあるコンクリート製の壁面、そこに全長60センチほどの『ニウギニ、この上↑』という看板があるのを発見し、近くにあった石の階段を登り始めるオレ。階段は40段近くあり、ようやく登り切ると正面に明りの点いた寺の本堂が現れた。そして、その向かって右脇から伸びる真っ暗な細道を進んでいくと小さな民家のような建物が4軒あり、その1番奥が「ニウギニ」だったのである。しかし、ココも一応は東京だとはいえ、何という不気味なところなのだろう。
 玄関の戸を恐る恐る開け、「すいませぇ~ん、板谷ですけど……」という声を上げてみた。すると3~4秒してから「あ、はぁ~い!」という明るい声が家の中から聞こえ、間もなくして「ふじおか」で会った男性が出てきたのだが、
「あごっ!?」
 オレの口から自然とそんな言葉が出ていた。この前は無かったが、男性の鼻を真横に貫通している棒……。そう、まさにアフリカの一部の部族がやっているような、あのスタイルの顔が目の前に出てきたのである。元々濃い顔の人だとは思ったが、鼻に30センチぐらいの棒が通ってるその顔は、何といったらいいのか、とにかく日本人には見えなかった。が……、
「こんな遠いところまでわざわざすみません。汚いところですが、さぁ、上がって下さい。どうぞ!」
 そんな丁寧な言葉を吐いたかと思うと、オレたちを8畳ぐらいの部屋に案内する男性。そして……、

「ごわわっ!?」
 その部屋に入り、広い出窓のようなところに積み上げられたモノが目に入ってきた途端、またしても自然にそんな声を発してしまうオレ。そこに飾っていたモノの中でも最も目を惹かれたのは“マッドメン”という泥を固めて作った悪霊?の面で、その数は5~6個だったが、その被りもの型のお面の口のところには本物の豚の歯が埋め込まれてて、とにかくハンパなく気味が悪かった。しかも、室内の各壁面には多分パプアニューギニア人だと思われる半裸の人々、それと一緒に同じく半裸になっている「ニウギニ」の店長さんの写真が何枚も飾ってあった。
「こ、これらの写真って、あの……何をしてるところの写真なんスかね?」
 その部屋に3つあるテーブル、その1つに腰掛けたオレたちにメニューを持ってきた店長に、とりあえずジャブでも打つような心境で尋ねているオレがいた。
「ああ、これらの写真は主に“ゴロカショー”っていう、パプアニューギニアで開催される1000人以上、約80の部族が集まって3日間踊り続けるお祭りのシーンを写したもので、自分も毎年行ってるんですよ、ええ」
「あ、そ、そうなんスか………」

 その後、店長さんとの会話で判明したことは、まず彼は“アポさん”と呼ばれていて、年齢はオレの6つ下とのこと。今はたまたま不在だが何年も前に結婚していて、奥さんもちゃんといるらしい。
「し、しかし、その鼻に通してる棒って、よっ……よく入れましたねぇ。ホントに鼻の中にある肉片をプスッと貫通してるんでしょ?」
「あっ……ええ」
 オレからの質問に相変わらず明るく答えてくれるアポさん。さらに……、
「今からもう10年ぐらい前に初めてハプアニューギニアに旅行に行きましてね。その時に1発で気に入っちゃったんですよ、あの国の人たちのことが。で、あまりに好きになり過ぎて、自分もある部族に家族の一員として入れてもらおうと思って、じゃあ、どうしたらいいか考えたら、もう鼻に棒を通して自分は半端な気持ちじゃないってことをアピールしようと思ったんですよ」
「な、なるほど」
「で、そういう穴を開けてくれるところがタイにあるからソコに行って、やってもらったんです。それでスグにパプアニューギニアの、自分が最も気に入ってるある部族長のところに行って、どうか自分もこの部族に加えて欲しいって頼んだら、それは全然いいけどウチの部族はそんな鼻に棒を通してる奴なんて1人もいないよ、って言われちゃいまして」
「えっ……か、確認しなかったんですかぁ!?」
「ええ、ゴロカショーでは棒を通してる人が結構いたんで、てっきりその部族も……」
「ぶぅわはははははははははははははっ!! じゃあ、鼻に棒を通す必要なんて……ぶぅわははははははははははははははっ!!」
「そうなんですよぉ~。でも、もう勢いで開けちゃったんで、もうこれはこれでいくしかないかなって……あはははははははははっ!!」

 その後、暫く笑いが止まらないオレたち。で、それもようやく収まってきて、ふとテーブルの脇を見ると、そこにはパプアニューギニア関連の本が何冊か置かれていたのだが、その中に唯一パプアニューギニアに1ミリも関係ないリリー・フランキーの文庫本「美女と野球」というコラム集が混ざっていたのである。
「アポさんはリリーさんが好きなんスか? オレは一応、彼とは面識はあるんですけど……」
「いや、別にファンじゃないんですけど、そのコラム本の中にボクのことが少しかかれてまして」
「ええっ!!」
「いや、ボクは以前は金粉を体に塗って、3メートルぐらいの火を吹くっていう大道芸人をやってまして」
「ええっ!!」
「それで、あるお祭りに呼ばれて出演したんですけど、その時の司会者をたまたまリリーさんがやってたみたいなんですよ」
 で、アポさんに教えられるまま、その本の中味を見てみると、おい、1番最初のコラムにいきなりアポさんのことが書いてあるじゃんかよっ!
 しかし、何なんだ、このアポさんという人は……。まだ、この「ニウギニ」に来てから10分ぐらいしか経ってないのに、オレは驚愕の声を何回上げてんだよっ!?
「あ、板谷さん。このお店ってカレーも出すんですね」
 メニューを見ながら、不意にそんなことを言ってくる正面に座ってる後輩。
「えっ、カレー? ……あ、ホントだ」
「いや、恥ずかしいんですけど、ボクは蕎麦に負けないくらいカレーも大好きで、自己流で研究しつつ、数年前からカシミールカレーっていうのも出してるんですよ」
「カ、カシミールカレー!?」
 自分でも驚くほど大きい声を出していた。
「あ、あの、カシミールカレーって言ったら、濃い焦げ茶色をした、あの辛いイ、インドカレーですよねっ?」
「ええ」
「いや、実は自分もカシミールカレーが超好きで、25年以上も前から群馬県の前橋市にある『マムタージ』っていうインドカレー屋で、そのカシミールカレーを2~3ヶ月に1回の割合で食ってるんスけどねっ。で、以前、オレは紀行本を書く仕事の取材でインドに行った時、そのカシミール地方にあるカレーを徹底的に食べて、『マムタージ』より美味しいカシミールカレーを絶対発見してやろうと思ったんスけど、その時期はカシミール地方に隣接しているパキスタンとインドが戦争一歩手前状態で、旅行者はカシミール地方には入れなかったんですよっ。だから、今度インドに行くことがあったら……」

「あの……」
 オレの言葉を遠慮気味に遮るアポさん。
「インドにはカシミールカレーっていうのは無いみたいなんですよね」
「えっ? ………えええっ!! ウ、ウソでしょ!?」
「ボクの友だちの中にはインドに割と頻繁に行く人たちが何人かいるんですけど、彼らもカシミールカレーが大好きなんですけどね。口を揃えて言うんですよ、カシミール地方に行っても、あの焦げ茶色をした辛いカレーはどこにも無いって」
「マ、マジっスか、それ………………」
 オレの耳に、それまで積み上げてきたインドカレーに対する自信、それがガラガラと音をたてて崩壊するのが聞こえていた。まさか、そんなことが………。
「じ、じゃあ、カシミールカレーってどこの国の人が作ったんですかっ?」
「驚くかもしれませんが、日本人だろうと言われてます」
「ええっ!!」
「銀座と上野に『デリー』っていうカレー屋さんがあって、多分ソコがルーツじゃないかと……。あのカレーのルーの焦げ茶色は、カラメルで出してるみたいなんですよね」

 オレの視界が興奮とショックで震えていた。
 まさか、オレが死ぬほど大好きなカシミールカレーを生み出したのが、インドのカシミール地方ではなくて、この日本だったなんて……。いや、オレは何もアポさんの言うことを100%信用して震えているわけではないのだ。
 オレが初めてカシミールカレーというものを食べたのが、実はその上野のデリーだったのだ。忘れもしない、今からもう40年近く前のオレが高校2年の時に上野の方に住んでいる友だちに連れられて、そのデリーを訪れたのだ。そして、オレはそこでカシミールカレーという初めて聞くカレーを一口食べた瞬間、全身から汗が吹き出し、さらに2~3口食べたところ、いきなり横っ腹に差し込みが走り、気がつくと当時はそのデリーの左隅に小さな和室があり、そこで目を覚ましたのである。
 そう、今でこそ大抵の辛いモノは食べられるなんて大した気でいるオレも、実はまだ辛いものにあまり免疫が無かった高校生の時にカレーを食べて気絶してしまったのだ。そして、そのカレーがカシミールカレーだったのである。
 考えてみれば、そのカレー気絶事件から6~7年経った頃、オレは群馬の前橋に実家のある仕事の相棒に連れられて、現在も2~3カ月に1度の割合で通っているカレー屋「マムタージ(当時は近くにある同系列のニューデリーに行ってたんだけどね)」で同じカシミールカレーを食べて雷に打たれたのだ。
 現在の日本でもカシミールカレーという種類は、一般的にはカレーの中では誰もが知るカレーではない。もし、カシミールカレーがインドのカシミール地方で生まれ、それが日本に入ってきたならば早い話が、現在の日本は辛いモノが好きな奴も昔から比べれば増えているため、もっとカシミールカレーはメジャーになっているはずなのだ。なのにそうじゃないってことは、その元祖は50~60年前の日本だということも充分考えられるのだ。
 しかし、オレは何て恥ずかしい物書きなんだ。今から20年前に紀行本を書くためにインドに行き、カシミール地方が準戦闘下にあったため、その地域の名物だと思っていたカシミールカレーが食べられずにガッカリした挙句、その紀行本に終わりに“次回こそカシミールカレーを食べるために、またインドに行くぞ~~!!”とか思いっきり書いちゃってるのである……。

 その後、オレと後輩は蕎麦とカシミールカレーを1人前ずつ注文。で、まずは蕎麦が出てきたのだが、いや、これが自分で蕎麦の実を碾いて打ってるということもあり本格的な味で、しかもアポさんは胡桃のつけダレも出してくれ、それに蕎麦をつけて食べると、また相当に美味しかった。そして、カシミールカレーを食べていた後輩にそのカレーを一口食べさせてもらうと、うん、確かに前橋のカシミールカレーに通じる味がして、前橋のカシミールカレーを100点とするならば、アポさんが作ったカレーには厳しく見積もっても78点はあげられる感じだった。
 しかし、何なんだ。まだ1ミリもパプアニューギニア料理を味わってないのに、蕎麦とカシミールカレーのこの充実ぶりは。しかも、アポさんは、この守備範囲の広い店を1人でやっているのである……。

 それからオレとアポさんは更に小1時間ほど雑談し、そろそろ帰ろうと思ったのだが、これだけの時間を取らせてオレたちは蕎麦1000円、カレー1000円の合計たったの2000円しか使っていなかったので、最後にメニューの裏側に載っていたニューギニア産の1杯500円だというコーヒーを2杯頼むことにした。
「うわっ、何だ、コレ!? ハンパなくウメ――!!!」
 そのコーヒーを一口飲んだ瞬間、またしても驚くオレ。いや、そのブルーマウンテンだというコーヒーが冗談抜きで驚異的に旨いのだ。いや、もっと具体的にどれだけ美味しいかと言うと、さっき食べた蕎麦やカレーが一瞬のうちに霞んでしまい、もちろんオレは今までにそんな美味しいコーヒーは1度も飲んだことがなく、気がつくと後輩に次のような質問をしていた。
「なぁ、お前ってコーヒー好き?」
「ええ、かなり好きですけど……」
「じゃあ、今飲んでるコーヒーって、ベストいくつに入る?」
「いや……冗談抜きで、今まで飲んできたコーヒーの中でも1番美味しいと思います」
「だ、だろっ!?」
 ちなみに、アポさんの話では、彼は今でも最低年一はパプアニューギニアに行くらしいのだが、帰りに20キロ分の土産を手荷物で持ってこれるので、いつも現地にあるコーヒー工場から、このブルーマウンテン(ホントはニューギニアで採れたコーヒーは、この呼び方が出来ないらしいのだが)をキッチリ20キロ背負って帰ってくるらしいのだ。にしても、まぁ、アポさんがコーヒー豆をケチらずに作ってくれることもあるんだろうが、パプアニューギニアで採れたコーヒー豆って尋常な旨さじゃないぞ、おい!!

 それからというもの、オレは家から車を飛ばして40~50分ぐらいの「ニウギニ」に毎回違う友達を連れて、ちょこちょこ行くようになった。で、何回目かに初めてニウギニ定食という、パプアニューギニア料理を注文してみたが、まぁ、不味くはないが正直言えば2回は食べたくなかった。が、もちろん「ニウギニ」は蕎麦やコーヒーを食べるだけでも充分通う価値があり、それに加えてアポさんはホントに人柄もいいし、また、話がとても面白いのだ。
 たとえば、この前も笑ったのだが、アポさんにとって何が虚しいって、1日中こうして店にいても客が1人も来ないことも珍しくはなく、なのに鼻に棒を刺したままボーっとしてると時折泣きたくなってくるという。また、「ニウギニ」は時々テレビで紹介されることもあるらしいのだが、どういう訳か放映された1週間以内は客が全く来なくなるという。数カ月前も某局の『激レアさんを連れてきた』という番組に出たらしいのだが、その時も避けられるように殆ど客が来なかったらしい(笑)。
 しかし、すっかり忘れていたが、こうしてアポさんと会うようになったのも、元々は林の遺言のお蔭である。同じく蕎麦作りに悩んだ2人だったが、一方はその適当な着地点が見つからずに結局は体を壊して死んでしまい、もう一方はたまたま蕎麦以外にも興味があるものがあったお蔭で何とかやっているのである。
 ちなみに、今回のこの計3回にわたる原稿でオレは蕎麦のことを色々書いてきたが正直、蕎麦通になんかには全くなりたくない。蕎麦なんかにハマっているより、この世の中には他に美味しいものがまだまだ沢山あるのだ。そして、そっちの方を追究してった方がより多くの驚きに出会えるし、楽しい一生を過ごせる。とオレは思うのだ。


 つーことで、林。お前の遺言で面白い旅が出来たし、自分がまだいかに小さいかも思い知ったよ。……ありがとな。礼を言っとくよ。






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  2018/06/15   ガイドワークス 管理者

Vol.70 遺言(中編)



 後輩の塚ポンが運転する車、その助手席から長野へと向かう高速道路からの風景を見ていると、山々も思った以上に寒々と見え、そろそろ本格的な冬に入ろうとしていることがわかる。
「この調子で行けば、その『ふじおか』っていうお蕎麦屋さんの開店時刻には余裕で間に合いそうですね」
 そう言って、カーコンポの曲をサザンオールスターズに変える塚ポン。
 「ふじおか」に予約を入れたのは、もちろんオレだった。ネットで「ふじおか」の食べログページをチェックしてみると、店は金、土、日、月の週4日間だけ営業してるとのこと。で、金曜の午後3時ごろに月曜なら空いてるだろうと余裕綽々で電話したところ、来週はどの日も予約で一杯という。そして、オレが急に焦っていると、相手のオバちゃんが『あ、再来週の月曜なら一卓空いてますけど、どうします?』と言ってきたので、反射的に「それでお願いします!」と言った後で「じゃあ、午後の1時前後にお伺いしますね」と付け加えた途端、オバちゃんの声が急に厳しくなった。
『ウチは午前11時半に注文を受けた後に食べてもらい、午後1時には閉店になるので、とにかく遅くても午前11時半までには来てもらわないと困ります』
 そう、予想以上にキッチリしているのである。

 ちなみに、オレは立ちソバや天ぷらなんかが沢山入った庶民的なソバをよく食べるが、蕎麦屋と漢字で表記される蕎麦とツユで勝負している店にも時々は通っていた。ザッと頭に思い浮かぶ店だけでも書くと、都内では神楽坂の「蕎楽亭」、渋谷の「玉笑」。都下では八王子の「坐忘」「車屋」、三鷹の「地球屋」。東京外では山梨県は長坂の「翁」、茨城の山奥にある「慈久庵」、福島は大内宿の「三澤屋」にも何度か通っていた。
 が、自分は蕎麦通かと言うとまったくそんなことはなく、食べた蕎麦を「うまくない蕎麦」「まぁまぁの蕎麦」「凄く美味しい蕎麦」の3つのジャンルの内のドコに入るのかは判断がつくが、じゃあ凄く美味しい蕎麦を食べ、その蕎麦が凄く美味しい蕎麦界の中では第何位にランクインされるのかとか訊かれると、もう全くわからないのだ。
 多分そういう判断がつく人というのは、それこそ月に3~4度以上は日本各地の凄く美味しい蕎麦屋を訪れていて、そのボーダーラインのようなものが頭と舌に出来ているのだろう。で、そのボーダーラインが全く出来てないオレが、これから日本一だという、その「ふじおか」の蕎麦を食べたら、その圧倒的な美味しさに林の言う通り、その蕎麦が日本一だということを実感できるのだろうか? そして、オレのそんな不安をサザンの桑田が、まるで嘲笑うかのように歌い飛ばしていた。

 その後、高速道路は藤岡ジャンクションから上信越自動車道に分岐し、さらに1時間ちょっと走ってからオレたちは長野インターで高速道路から下りた。そして、浅川ループラインから戸隠バードラインに進むと、そこには通称七曲りという、天井に鉄の太い網が張られたヘアピンカーブの連続区間があり、もしあと1ヵ月もしてこの道路が凍結したら、この乱勾配から考えて、まずこの先には進めなくなることが容易に想像できた。
「だ、大丈夫かっ、塚ポン?」
 オレは目を白黒させて、その七曲りを夢中で上がっている塚ポンに声を掛けた。
「いや、何だかヘビの檻に入れられたハムスターにでもなったような気分で、す、すいませんっ。このヘアピンカーブが、あと1キロ以上続いたら自分、吐くと思いますっ」
 が、そのカーブは300メートルほど進むと無事に終わり、いよいよ田舎然とした道を進んでいると、そのうち電話で店のオバちゃんが教えてくれた目印の長野カントリークラブというゴルフ場があり、その後、その先をカーナビの指示に従って右手の細い道に入った。そして、その道を何度か右左折したところに、おお、あった! あのログハウスが「ふじおか」だ!!
「店が高床式になってるのは多分、この地が冬になると殆ど雪に覆われちゃうからでしょうね」
 塚ポン。そんなことよりお前、今、青っパナ垂らしてんぞ……。

 と、その駐車スペースに車を止めて店の外観を観察してると、1台の車がオレたちの車の隣に止まった。八王子ナンバー。オレんちからそんなに離れてない所から来たのかと思うと、何だか急に嬉しくなって、その車の運転席から出てきた40代後半ぐらいの男に声を掛けていた。
「あ、あの、ココには何度か来てるんですか?」
「いや、ボクもココは初めてなんですが、この店が以前の黒姫という所にあった頃は何度も通ってたんですけどね」
「(あっ、林が言ってた黒姫っていうのは、つまり前の住所だったのか……)ぶっちゃけ、味の方はどうなんスかね?」
「その黒姫時代と変わらない味であれば、間違いなく日本一旨い蕎麦屋だと思います」
「えっ……ホ、ホントに日本一ですかっ?」
オレは、あまりにも簡単に相手から“日本一”という言葉が出てきて、俄然興奮していた。さらに……、
「いや、実は自分も蕎麦を打つ仕事をしてたんですけど、ちょっと前まで悩んじゃってて、何年か打てなくなってたんですよ」
(はっ……林と同じだっ! やっぱし、この人も蕎麦でオカしくなってたんだ!!)
「ま、ようやく少し前から、また蕎麦を打てるようになったんですけどね」
「え、お店ってドコにあるんスか?」
「いや、青梅市なんですけど……」
「(青梅なんだ……)で、なんて名前のお蕎麦屋さんなんですか?」
「いや、同時にパプアニューギニア料理も出してる店なんで、店名は『ニウギニ』っていう名前なんですけどね」
   カイ~ン!!
 次の瞬間、オレの頭の中に響き渡る、金属バットが芯で硬球を捉えたような音。
 で、そうこうしてるうちに更に2台の車が駐車スペースに入ってきたが、1台のナンバーは岐阜、もう1台は愛媛だった……。

「あ、板谷さん。お店、開きましたよっ」
 塚ポンにそう言われ真っ先に店内に入ると、20畳弱のスペースに4人掛けのテーブルが4つあった。つまり、この店は昼のこの時間しか営業してないので、1日に最高でも16名の客しか取らないのである。ちなみに、この日は全員で12名だった。
 テーブルの上にあるメニューを見ると、用意されているのは基本的に「せいろそば定食」3000円のみ。コース内容は、季節の野菜料理→蕎麦がゆ→せいろそば→漬物という構成。そのコース以外には、そばのお代わり&そばがき、それぞれ800円。あとはアルコール類があるだけだった。
 つーことで、何はともあれ、その3000円のコースを食べてみたのだが、いやいや、これがかなりの美味しさなのである。特に驚いたのが、微妙に緑がかった蕎麦の香りを嗅いでみると何とも言えない、淡い刺激的なニオイがし、続いてそれを何もつけないで口の中に放り込んでみると、早くも春が来たような、それでいて泰然とした田舎の自然が口の中に広がっていくのである。また、更に驚いたのは蕎麦とツユの相性が絶妙で、更に更に、オレは元々野菜はあまり好きじゃないのだが、このコースを順ぐりに味わっていると、そのコースに完成感があることがわかるのだ。よって、普段のオレなら蕎麦と一緒についつい天プラや鴨も食べたくなるのだが、このコースを食べているとそういう気が全く起こらないのである。
 しかし、である……。確かに林が言った通り美味しい蕎麦を出す店だが、オレはここの蕎麦が日本一だと言えるほど自分に自信が無い。いや、確かに旨いんだろうとも思うし、オレの地元の同級生だった林もきっとこの店で出すような蕎麦やツユ、そして、それを盛り立てる料理を作りたかったんだろうと思うのだ。
 林には何の技術が足りなかったのか? 蕎麦粉の挽き方か? 打ち方か? 茹で方か? ツユの出汁の取り方か? もしくは蕎麦の実の産地などの問題なのか? そして林は、この方程式がいつまでも解けずに1人で地獄に入ってっちゃったんだろうなぁ……。
 これが林の遺言か。確かに、間違いなく美味しい蕎麦は食えたが、オレにとってはそれだけのことだった。奴が言った言葉を遺言などと捉えて、気取ってこんな所まで来た自分のことが急に滑稽に思えてきた。あ~あ、何やってんだろうなぁ、オレ……。



 が、林の遺言が炸裂するのは、実はこの後だったのだ。後編に続く。







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  2018/05/15   ガイドワークス 管理者