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蛭子能収のうきうきギャンブラー人生

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蛭子能収プロフィールphoto

蛭子能収

1947年長崎生まれ。漫画家、俳優。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家に。その後TVにも出演。現在「蛭子コレクション」全21冊のうち7冊発売中。ギャンブル(特に競艇)大好き。カレーライス、ラーメンなど大好き。魚介類や納豆は苦手。現在、タレント、俳優、漫画家、エッセイストと多ジャンルで活躍中。

Vol.55 ギャンブラー引退!?


 昔を振り返ってみると私は子供の頃から本当にギャンブルが好きだった。小学生の頃は母に10円貰って駄菓子屋へ直行。10円の物を買うのではなく、必ず、くじ付きのお菓子を買っていた。お菓子を食べることより、くじを引いて大きな当たりを得て、より大きなお菓子を手に入れたかったのだ。

 この考えは69才になった今でも残っている。手元に1万円あれば、これを2万円にしてから物を買おう、という気持ちだ。
 高校を卒業して何よりも早く、真っ先に行ったのはパチンコ店だった。看板店に就職をしたが、働きながら思うのは「今日の夜はどのパチンコ店へ行こうかな」だった。
 当時の私の給料は月8千円。油断するとパチンコで一日で使ってしまう金額だ。それを心配してパチンコ玉を50円とか小さい金額で買って打っていたのである。

 20才の誕生日に友達2人と一緒に大村競艇場へ行った。「パチンコは18才から競艇は20才から」と法律で決められており、私はこれらの法をきちんと守って競艇場へ行ったのだ。
 長崎の町からバスに乗って約一時間で大村競艇場へ到着。初めて見る競艇場へ到着。初めて見る競艇場はなにかキラキラして見えた。「ついに俺は大人になったんだ」という思い。嬉しくて興奮したものである。一レース1000円ずつ使って計12000円の負け。つまり一本も当たらなかったのだ。
 それでも帰る時は何か清清しく思ったものである。「これで私もやっと大人のギャンブルで遊んだんだ」という充足感があった。
 それから休みは大村ボートが開催中の時は必ずボートレース場へ通った。夕方の5時頃レースが終わったら、長崎市内でパチンコをして帰った。家に着くのはいつも夜の10時半くらい。一緒に住んでいた母は一言の文句も言わなかったのだ。
 子供の頃からのギャンブル好きという性格は今も変わらないが、使うお金は減っている。さすがに何年もやってきたギャンブルなので「まず“勝てない”」とうすうす気付いてきたことと、遊びに使うお金を制限されていることで今は行けても月一回ほど。

 この間、一ヶ月ぶりに平和島ボートレース場へ行った。1レースから8レースまで遊んで、結果は、

1レース:-7000円
2レース:-2000円
3レース:-8000円
4レース:-7000円
5レース:-10000円
6レース:-4000円
7レース:-7000円
8レース:-3000円

とすべてマイナス。約5万円のマイナスとなった。これは、かなり痛い出費…。
 必勝法をいろいろ考えてはいるが、まずはレース場へ行くことを控えなければならないだろう。


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